鉛筆一本田川に流れ春休み
森澄雄
春休みの気分がよく出ている句だと思う。
誰かがデッサンでもしていたのだろうか。あるいは農の人が落としたか。春休みだから下校中の子供が落としたというのではなさそうだ。
鉛筆はどういうのだろう。私の場合、トンボの鉛筆のような緑の、それでいて短いやつを初読ではイメージした。自句自解によれば(『俳句臨時増刊号 森澄雄読本』角川書店・1979年4月)、「庭前がまだ広い水田だった頃。道端の溝のような田川を青い小さな鉛筆が流れてきた」とある。
「鉛筆一本」という入りを、私はもう一句だけ知っている。「えんぴつ一本どれだけの蝶描けるか 小池康生」である。澄雄の句と比べると、こちらには機知の閃きがある。
しかし、鉛筆の句で春のものは多い。「ここにまた吾子の鉛筆日脚のぶ 中村汀女」、「鉛筆で髪かき上げぬ初桜 星野立子」、「鉛筆で書く音静かチューリップ 星野立子」、「永き日を鉛筆削り削り減らす 柴田白葉女」、「鉛筆を削りためたる日永かな 久保田万太郎 」、「鉛筆を落せば立ちぬ春の土 高浜虚子」(余談だが、虚子のこの句から永田耕衣の「あんぱんを落として見るや夏の土」を思い出した。耕衣のこの句、措辞もヘンだが、「夏の土」という季語も結構ヘンだ)。
「鉛筆の遺書ならば忘れ易からむ 林田紀音夫」は、季とは違うところで書いたことの成功を強く思わせる。
(安里琉太)
【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「滸」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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