人體は穴だ穴だと種を蒔くよ
大石雄介
(『包』別巻6号「大石雄介 包・自選50句抄シリーズ集成・Ⅱ、2025年4月10日)
昨日は小田原で「DA句会」に参加した。DA句会は大石雄介・和子夫妻の主導により小田原で開催される句会で、事前に投句した兼題による10句出しの句会と、午後の散歩で獲得した句材によるこれまた10句出しの即吟句会という2部から成る。会自体はみなが手作りの惣菜やお菓子を持ち寄るなどとても和やかなものだが、俳句に向き合う時間は真剣そのもの。自分より遥かに年上の方々が今日も俳句の新しみや言葉の新しみと出会うべく書き続けるその姿には、ただただ己の怠惰を恥じ入るばかりである。僕はこの句会に通い始めてたぶん1年と少しくらいになるが、その密度と充実度はかなりのものだ。俳句観が入れ替わったとすら言ってもいいだろう。これは雄介さんやメンバーの俳句論に「染められる」ということではなく、DA句会が常にお互いに影響し合う相互刺激の場であるということだ。行き詰まっている人、悩んでいる人、調子に乗っている人。すべての若手俳人に、一度体験してほしい句会である。
もうひとつこの句会で重要かつ貴重なのは、情報と経験の共有である。今となっては書物でしか知り得ない、金子兜太を中心とした大きなうねりとしての前衛俳句運動(ここではいったん、そう呼称する)のリアルな空気感。実際に兜太や阿部完市とともに活動してきた方々が、その実情を細部まで僕たちに語ってくれるのだ。伝統と前衛という大きな二項対立や、中心となった人々を分類することで描き出されるざっくりとした海図などは知識として得られるが、実際の”運動”というのはそんなベクターデータではなく、たくさんの人と人が生み出した複合的な立体構造物だ。そうした歴史の平面図から漏れ出てしまう細かい部分については自分の脚で拾い上げていくしかないわけだが、この句会は間違いなくそれを得るための貴重な機会の一つである。書物というふるいに残らなかった情報は、往々にして砂金の姿をとっているものだ。
人體は穴だ穴だと種を蒔くよ
掲句は雄介さんが発行する(実質的な)個人誌『包(ぱお)』の最新号からの一句。僕はすでに存在する言葉を組み合わせたり混合することにより一句を書くといういわば”構築”的な手法に関心があるのだが、いっぽうで雄介さんの作り方は僕のそれと大きく異なっていて、言葉が言葉自身によって自発的に”生まれてくる”ことを重視しているという。そのような考え方に立ったとき、人間やその体というのは主体ではなく言葉の通り道にすぎない。無限に発生する言葉を現世に書き留めるという行為において人体とは一般名詞的な空洞であり、自在に変形する装置なのである。
はらわたと呼ぶにんげんの突端かな
羊の毛刈ってにんげん跳ねている
人間を見ている風の青大将
にんげんはにんげんはと夏の焚火
物種蒔くにんげんの種も混ぜて蒔く
雄介さんの句において、人体や人間という概念は他のあらゆる事象と同じように客体化される。手法やメソッドというのはそれぞれが獲得するしかないものだし、また志向するところも同様に個人に委ねられる。そこではその優劣や良し悪しといったことは重要ではないのだが、少なくとも僕はこうした雄介さんの書き方とそこから出力されるプロダクトから学ぶことは大いにあると感じている。こうした機会を得られている僥倖に感謝するとともに、僕の手許まで降ってきた砂金を一粒たりとも逃さないために何ができるのか、ということを考え続けたいと思う。思考/志向の記録として今回の吟行で作った句を残して、今日のところは終わりにしたいと思う。
松葉海蘭さようならのかたち 星一郎
満天星躑躅たしかに光っていたか
青い瓦積まれて虫けらの宇宙
大地縛つくづく人は炎であり
磯鵯ひゅるり電気の通り道
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
>>〔52〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
>>〔51〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
>>〔50〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
>>〔49〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
>>〔48〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
>>〔47〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
>>〔46〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
>>〔45〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
>>〔44〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
>>〔43〕糞小便の蛆なり俺は春遠い 平田修
>>〔42〕ひまわりを咲かせて淋しとはどういうこと 平田修
>>〔41〕前すっぽと抜けて体ごと桃咲く気分 平田修
>>〔40〕青空の蓬の中に白痴見る 平田修
>>〔39〕さくらへ目が行くだけのまた今年 平田修
>>〔38〕まくら木枯らし木枯らしとなってとむらえる 平田修
>>〔37〕木枯らしのこの葉のいちまいでいる 平田修
>>〔36〕十二から冬へ落っこちてそれっきり 平田修
>>〔35〕死に体にするはずが芒を帰る 平田修
>>〔34〕冬の日へ曳かれちくしょうちくしょうこんちくしょう
>>〔33〕切り株に目しんしんと入ってった 平田修
>>〔32〕木枯らし俺の中から出るも又木枯らし 平田修
>>〔31〕日の綿に座れば無職のひとりもいい 平田修
>>〔30〕冬前にして四十五曲げた川赤い 平田修
>>〔29〕俺の血が根っこでつながる寒い川 平田修
>>〔28〕六畳葉っぱの死ねない唇の元気 平田修
>>〔27〕かがみ込めば冷たい水の水六畳 平田修
>>〔26〕青空の黒い少年入ってゆく 平田修
>>〔25〕握れば冷たい個人の鍵と富士宮 平田修
>>〔24〕生まれて来たか九月に近い空の色 平田修
>>〔23〕身の奥の奥に蛍を詰めてゆく 平田修
>>〔22〕芥回収ひしめくひしめく楽アヒル 平田修
>>〔21〕裁判所金魚一匹しかをらず 菅波祐太
>>〔20〕えんえんと僕の素性の八月へ 平田修
>>〔19〕まなぶたを薄くめくった海がある 平田修
>>〔18〕夏まっさかり俺さかさまに家離る 平田修
>>〔17〕純粋な水が死に水花杏 平田修
>>〔16〕かなしみへけん命になる螢でいる 平田修
>>〔15〕七月へ爪はひづめとして育つ 宮崎大地
>>〔14〕指さして七夕竹をこはがる子 阿部青鞋
>>〔13〕鵺一羽はばたきおらん裏銀河 安井浩司
>>〔12〕坂道をおりる呪術なんかないさ 下村槐太
>>〔11〕妹に告げきて燃える海泳ぐ 郡山淳一
>>〔10〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔9〕性あらき郡上の鮎を釣り上げて 飴山實
>>〔8〕蛇を知らぬ天才とゐて風の中 鈴木六林男
>>〔7〕白馬の白き睫毛や霧深し 小澤青柚子
>>〔6〕煌々と渇き渚・渚をずりゆく艾 赤尾兜子
>>〔5〕かんぱちも乗せて離島の連絡船 西池みどり
>>〔4〕古池やにとんだ蛙で蜘蛛るTELかな 加藤郁乎
>>〔3〕銀座明るし針の踵で歩かねば 八木三日女
>>〔2〕象の足しづかに上る重たさよ 島津亮
>>〔1〕三角形の 黒の物体の 裏側の雨 富沢赤黄男