
夕焼へ中晴れていて泣けてたり
平田修
(『卯月野』1996年ごろ)
夕焼とは実に多面的な現象である。俳句的に言えば晩夏の季語にあたるが、それは夏の夕焼がことさら長く、赤く、美しいからであり、実際にはその様子を日ごとに変えながらも毎日訪れる(だから「春夕焼」や「冬夕焼」などという季語も歳時記に載っているわけだが)。そして目に入る風景としての夕焼は、時間帯や季節によってきわめて広範なグラデーションを見せる。それは空気中の水分が多い夏場の真っ赤な夕焼から乾燥した冬の淡くまばゆい夕焼までさまざまだ。
そして現象としての夕焼が示すさまざまな様相は同時に、夕焼という言葉が持つ果てしない重層性を意味する。同じ日でも観測するのが数分違うだけでまったく異なる色合いを呈する夕焼。言葉、特にそれによって記述される短詩というものは生来読み手にその意味するところを委ねる性質が強いわけだが、そのなかでも読み手が受け取りうる情景の変化量が大きい単語といえるだろう。
とはいえ、一般に夕焼と聞いて思い浮かべる風景には一定のテンプレートが存在することもまた事実である。放課後、帰り道、高台から見下ろす景色、水平線に太陽が沈む景色……。やや乱暴な括りになるが、一言でいえば「郷愁」としばしば結びつく情景である。あるいは、民謡「ゆうやけこやけ」のメロディを思い起こす人もいるだろう。
夕焼へ中晴れていて泣けてたり 平田修
読み下してみるとよくわかるが、掲句はそうした夕焼のイメージを大きく逸脱しない。夕焼の「中」とはなんなのか、「泣けてたり」という文法的にやや破綻したフレーズの効果とは、といったことの詮索はこの句にとって無用だろう。夕焼の持つ所与のイメージに臆面もなく寄り掛かり、あまつさえ涙すら流す。俳句に慣れてくると俳句を読むときについその意味や技巧を深掘りしたくなる欲望に駆られるものだが、それすら野暮に思わせるまっすぐさである。彼の作品にときおり見られる一種の幼児性のようなものの極致ともいえよう。句群のほぼ最終盤にこんな句を出されてしまうと、こちらはただ立ち尽くすほかない。
(細村星一郎)
【執筆者プロフィール】
細村星一郎(ほそむら・せいいちろう)
2000年生。第16回鬼貫青春俳句大賞。Webサイト「巨大」管理人。
【細村星一郎のバックナンバー】
>>〔78〕夕焼へ中晴れていて泣けてたり 平田修
>>〔77〕みどりから四十九灯し出しにけり 平田修
>>〔76〕私を殺やめずに来て夏野原 平田修
>>〔75〕ひと葉からふた葉へぼくを解いてたり 平田修
>>〔74〕骨良しとした私春へ足 平田修
>>〔73〕蓬から我が白痴出て遊びけり 平田修
>>〔72〕五体ほど良く流れさくら見えて来た 平田修
>>〔71〕星が生まれる魚が生まれるはやさかな 大石雄介
>>〔70〕秋や秋や晴れて出ているぼく恐い 平田修
>>〔69〕天に地に鶺鴒の尾の触れずあり 本間まどか
>>〔68〕ここを梅とし淵の淵にて晴れている 平田修
>>〔67〕無職快晴のトンボ今日どこへ行こう 平田修
>>〔66〕我が霜におどろきながら四十九へ 平田修
>>〔65〕空蟬より俺寒くこわれ出ていたり 平田修
>>〔64〕換気しながら元気な梅でいる 平田修
>>〔63〕あじさいの枯れとひとつにし秋へと入る 平田修
>>〔62〕夕日へとふいとかけ出す青虫でいたり 平田修
>>〔61〕葉の中に混ぜてもらって点ってる 平田修
>>〔60〕あじさいの水の頭を出し闇になる私 平田修
>>〔59〕螢火へ言わんとしたら湿って何も出なかった 平田修
>>〔58〕海豚の子上陸すな〜パンツないぞ 小林健一郎
>>〔57〕夏の月あの貧乏人どうしてるかな 平田修
>>〔56〕逃げの悲しみおぼえ梅くもらせる 平田修
>>〔55〕春の山からしあわせと今何か言った様だ 平田修
>>〔54〕ぼく駄馬だけど一応春へ快走中 平田修
>>〔53〕人體は穴だ穴だと種を蒔くよ 大石雄介
>>〔52〕木枯らしや飯を許され沁みている 平田修
>>〔51〕ひまわりの種喰べ晴れるは冗談冗談 平田修
>>〔50〕腸にけじめの木枯らし喰らうなり 平田修
>>〔49〕木枯らしの葉の四十八となりぎりぎりでいる 平田修
>>〔48〕どん底の芒の日常寝るだけでいる 平田修
>>〔47〕私ごと抜けば大空の秋近い 平田修
>>〔46〕百合の香へすうと刺さってしまいけり 平田修
>>〔45〕はつ夏の風なりいっしょに橋を渡るなり 平田修
>>〔44〕歯にひばり寺町あたりぐるぐるする 平田修
>>〔43〕糞小便の蛆なり俺は春遠い 平田修
>>〔42〕ひまわりを咲かせて淋しとはどういうこと 平田修
>>〔41〕前すっぽと抜けて体ごと桃咲く気分 平田修
>>〔40〕青空の蓬の中に白痴見る 平田修
>>〔39〕さくらへ目が行くだけのまた今年 平田修
>>〔38〕まくら木枯らし木枯らしとなってとむらえる 平田修
>>〔37〕木枯らしのこの葉のいちまいでいる 平田修
>>〔36〕十二から冬へ落っこちてそれっきり 平田修
>>〔35〕死に体にするはずが芒を帰る 平田修
>>〔34〕冬の日へ曳かれちくしょうちくしょうこんちくしょう
>>〔33〕切り株に目しんしんと入ってった 平田修
>>〔32〕木枯らし俺の中から出るも又木枯らし 平田修
>>〔31〕日の綿に座れば無職のひとりもいい 平田修
>>〔30〕冬前にして四十五曲げた川赤い 平田修
>>〔29〕俺の血が根っこでつながる寒い川 平田修
>>〔28〕六畳葉っぱの死ねない唇の元気 平田修
>>〔27〕かがみ込めば冷たい水の水六畳 平田修
>>〔26〕青空の黒い少年入ってゆく 平田修
>>〔25〕握れば冷たい個人の鍵と富士宮 平田修
>>〔24〕生まれて来たか九月に近い空の色 平田修
>>〔23〕身の奥の奥に蛍を詰めてゆく 平田修
>>〔22〕芥回収ひしめくひしめく楽アヒル 平田修
>>〔21〕裁判所金魚一匹しかをらず 菅波祐太
>>〔20〕えんえんと僕の素性の八月へ 平田修
>>〔19〕まなぶたを薄くめくった海がある 平田修
>>〔18〕夏まっさかり俺さかさまに家離る 平田修
>>〔17〕純粋な水が死に水花杏 平田修
>>〔16〕かなしみへけん命になる螢でいる 平田修
>>〔15〕七月へ爪はひづめとして育つ 宮崎大地
>>〔14〕指さして七夕竹をこはがる子 阿部青鞋
>>〔13〕鵺一羽はばたきおらん裏銀河 安井浩司
>>〔12〕坂道をおりる呪術なんかないさ 下村槐太
>>〔11〕妹に告げきて燃える海泳ぐ 郡山淳一
>>〔10〕すきとおるそこは太鼓をたたいてとおる 阿部完市
>>〔9〕性あらき郡上の鮎を釣り上げて 飴山實
>>〔8〕蛇を知らぬ天才とゐて風の中 鈴木六林男
>>〔7〕白馬の白き睫毛や霧深し 小澤青柚子
>>〔6〕煌々と渇き渚・渚をずりゆく艾 赤尾兜子
>>〔5〕かんぱちも乗せて離島の連絡船 西池みどり
>>〔4〕古池やにとんだ蛙で蜘蛛るTELかな 加藤郁乎
>>〔3〕銀座明るし針の踵で歩かねば 八木三日女
>>〔2〕象の足しづかに上る重たさよ 島津亮
>>〔1〕三角形の 黒の物体の 裏側の雨 富沢赤黄男