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秋淋し人の声音のサキソホン 杉本零【季語=秋淋し(秋)】


秋淋し人の声音のサキソホン)

杉本零


 槇原敬之が「モニカ」を歌うと告げた時、会場は歓喜にどよめいた。先述のライブでのことである。その歌唱は誠実だった。

 槇原の「モニカ」を誠実に感じた理由は「カ」の母音「ア」=[ʌ]を強く発音していたからだ。他の曲でも「ア」の音が異彩を放っていた。それも単語の途中にあって流れるような「ア」ではなく「ハ」など呼気を伴う子音を持つ音、高音になった最初の一音の「ア」、また「アー」と長く伸ばした時の本気の「ア」に癒しの響きが宿っていた。恐らくは喉薬を塗る時のように喉の奥を沈め、発声するにあたり管楽器に近い状態を作り出していたのではないだろうか。「オ」も長く伸ばす時に喉が沈んでいそうで響きが深い。その本領は「SWEET MEMORIES」や「Rain」でも発揮された。本気の「ア」の音と伸ばす「オ」に出会う度に音を越えた何かに包まれたような心地になっていた。生で聴いたからこその気付きであった。

 オリジナルである吉川晃司の発音は子音が中心である。「モニカ」の「カ」は[k]で思い切り破裂させているのに対し、母音は少し閉じていて曖昧母音の[ə]に近い。彼が発したい音は母音よりも子音に重点が置かれているのが感じられる。打楽器寄りの発声で英語的だ。

秋淋し人の声音のサキソホン   杉本零

 サキソホンが人の声音のようであることを喩えとせず断定している点が非凡である。確かにサキソホンの音は人の声、しかも嘆きの声に近いので情に流れた句になってしまいがちだ。掲句はあたかも「空の色」とでも言うようにさらりと述べているが、季語の効果で心には仄かな影が残る。繰り返し読んでいるうちにサキソホンが人間の声を本当に獲得して語り出したようなシュールな世界にまで想像が及んだ。

 「秋」に淋しさの要素が入っているのにさらに重ねた「秋淋し」はそれだけで重量があり、他の要素とのバランスが難しい。だからこそ中七下五のさらっとした表現が際立つ。「これに合う季語は何か?」というアプローチ(それ自体の是非はともかく)では到達しない季語だ。サキソホンの叫びを受け取った者だけが感じることの出来るのがこの季語なのである。

 風が吹き抜けるような「寂し」ではなく、涙を誘うような「淋し」としていることでその声音が泣いていることが感じられる。「氵」(さんずい)は水分そのものだ。

 槇原敬之の本気の「ア」には心躍りを伴う青春性が宿っていた。彼がサキソホンだとしたらそれが呼び起こしていたのは「秋淋し」ではなく「春の風」であった。

遺句集『零』(1989年刊)所収。昭和30年代作。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



【吉田林檎のバックナンバー】

>>〔18〕颱風の去つて玄界灘の月   中村吉右衛門
>>〔17〕秋灯の街忘るまじ忘るらむ    髙柳克弘
>>〔16〕寝そべつてゐる分高し秋の空   若杉朋哉
>>〔15〕一燈を消し名月に対しけり      林翔
>>〔14〕向いてゐる方へは飛べぬばつたかな 抜井諒一
>>〔13〕膝枕ちと汗ばみし残暑かな     桂米朝
>>〔12〕山頂に流星触れたのだろうか  清家由香里
>>〔11〕秋草のはかなかるべき名を知らず 相生垣瓜人

>>〔10〕卓に組む十指もの言ふ夜の秋   岡本眸
>>〔9〕なく声の大いなるかな汗疹の児  高濱虚子
>>〔8〕瑠璃蜥蜴紫電一閃盧舎那仏    堀本裕樹
>>〔7〕してみむとてするなり我も日傘さす 種谷良二
>>〔6〕香水の一滴づつにかくも減る  山口波津女
>>〔5〕もち古りし夫婦の箸や冷奴  久保田万太郎
>>〔4〕胎動に覚め金色の冬林檎     神野紗希
>>〔3〕呼吸するごとく雪降るヘルシンキ 細谷喨々
>>〔2〕嚔して酒のあらかたこぼれたる  岸本葉子
>>〔1〕水底に届かぬ雪の白さかな    蜂谷一人


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