行く春や鳥啼き魚の目は泪
芭蕉
芭蕉『奥の細道』が杜甫・李白の影響下にあることはよく語られるけれど、王維・白居易からのそれだって無視できないと思う。「三月尽」に象徴される「去りゆく季節」の主題とこの俳人がとても親しかったことを思えば、なおさらそうだ。
行く春や鳥啼き魚の目は泪 芭蕉
たしかに惜春が胸にひろがるときって、鳥も魚も泣いているかのように世界が感じられる。それにしても、いなせな句だなあ。
この句については『古楽府』の「枯魚、河を過ぎて泣く/いずれの時にか還りてまた入らん」 や、杜甫の「時に感じては花にも涙を濺ぎ/別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」や、陶淵明の「羈鳥旧林を恋い/池魚故淵を思う」などからインスピレーションを得たという説を聞くけれど、ふむ、なるほどそうなのかと思いつつ、なんだかこじつけっぽくない?という気分も拭えない。そんなとき思い出すのが次の王維の詩だ。
寒食汜上作 王維
広武城辺逢暮春
汶陽帰客涙巾沾
落花寂寂啼山鳥
楊柳青青渡水人
寒食 汜上の作 王維
広武の城のほとりで ゆく春に出くわし
汶陽より帰る旅人の 手巾は涙に濡れた
花はひっそりと散り 山に啼くのは鳥
柳はあおあおと茂り 川を渡るのは人
この漢詩をハイカイザシオン的に縮約すると〈行く春や鳥啼き人の目は泪〉となるだろう。しかしそれでは俳諧的な風狂にいささか欠けるため、人を魚に変えたんじゃないのかな?というのがわたしの妄想するところです。
(小津夜景)
【小津夜景のバックナンバー】
>>〔22〕春雷や刻来り去り遠ざかり 星野立子
>>〔21〕絵葉書の消印は流氷の町 大串 章
>>〔20〕菜の花や月は東に日は西に 与謝蕪村
>>〔19〕あかさたなはまやらわをん梅ひらく 西原天気
>>〔18〕さざなみのかがやけるとき鳥の恋 北川美美
>>〔17〕おやすみ
>>〔16〕開墾のはじめは豚とひとつ鍋 依田勉三
>>〔15〕コーヒー沸く香りの朝はハットハウスの青さで 古屋翠渓
>>〔14〕おやすみ
>>〔13〕幾千代も散るは美し明日は三越 攝津幸彦
>>〔12〕t t t ふいにさざめく子らや秋 鴇田智哉
>>〔11〕またわたし、またわたしだ、と雀たち 柳本々々
>>〔10〕しろい小さいお面いっぱい一茶のくに 阿部完市
>>〔9〕凩の会場へ行く燕尾服 中田美子
>>〔8〕アカコアオコクロコ共通海鼠語圏 佐山哲郎
>>〔7〕後鳥羽院鳥羽院萩で擲りあふ 佐藤りえ
>>〔6〕COVID-19十一月の黒いくれよん 瀬戸正洋
>>〔5〕風へおんがくがことばがそして葬 夏木久
>>〔4〕たが魂ぞほたるともならで秋の風 横井也有
>>〔3〕渚にて金澤のこと菊のこと 田中裕明
>>〔2〕ポメラニアンすごい不倫の話きく 長嶋 有
>>〔1〕迷宮へ靴取りにゆくえれめのぴー 中嶋憲武
【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】