内装がしばらく見えて昼の火事
岡野泰輔
(句集「なめらかな世界の肉」(2016年)より)
そのころ火と火はお互いに親しかった。・・・いつも火は別の火と手を結び、無数の火を糾合することができた。・・・火はどこにいても別の火を呼ぶことができ、その声はすぐに届いた。・・・火は自然に起こり、滅亡と否定は常態であり、・・かつて寺々が不安によって焼かれたのだとしたら、どうして今金閣が焼かれないでよい筈があろうか?
三島由紀夫「金閣寺」より
幼稚園に入る前の頃から、材木を営む家業に忙しい両親に言いつけられて、薪をまとめて括ったり、肉屋さんや魚屋さん、八百屋さんに買い物に行ったりする事が日課になっていたが、ひときわ筆者がわくわくした役割は「風呂焚き」であった。当時生家の風呂の浴槽は丸い鉄窯をセメントで固定した所謂「五右衛門風呂」のような簡素なもので、焚き口は裏玄関の土間に向いていた。そこの小さな鉄の蓋を開けくしゃくしゃにした古新聞に燐寸で火をつけごく細い木っ端を斜に重ねていき、火の勢いをみながら徐々に太い薪をくべ、最後は蓋を閉め、その気道の窓をスライドさせて開けると、狭い処から一気に入れられた酸素に反応して、ゴウと音をたてながら炎はその最大限の力をみせるーこの愉悦に満ちた時間を守るため、幼いながらことさら熱を込めた仕事をしていたように思う。
ところが或る日、火との自分との関係が穏やかならぬものになる事件が起きた。
火事―なんということだろう、目覚めると自分は誰かに抱えられて外に出され、炎は冬の夜をひときわ明るくし、獣の吠えるような音とともに、両親が苦心して積み上げてきた生活も事業も、ひとまとめに燃やしつくそうとしていた。親しい友人みたいに感じていた「火」に裏切られたような稚拙な哀しみはあった筈だが、ついさっきまで寝ていた二階の座敷も卓袱台のあった一階の板間も、土間の小さな事務所も棟続きの製材工場も立てかけられていた材木も、みるみる赤いものに包まれていき、火花が真夜にゆらめくこの世とも思えぬ景に心を奪われ、いつしかうっとりと見つめてしまっているのだった。
金閣寺の焼失は昭和二十五年に起きた史実であり、原因は同寺の、舞鶴出身の見習い僧侶による放火であった。みずからの金閣の美への執着をその滅びをもって決着させる以外に方法を見いだせなかった孤独な若い僧の心理をじわじわ炙りだす筆力に圧倒される三島の小説の一節を書き出しに置いたが、たしかに火はどこにいても別の火を呼ぶことができる。放火とかは人の意思が働いているように見えて、実は火のほうで「滅び」に向かわせる対象を選んでいるかもしれない。中世の戦国の世、本能寺において覇業の道半ばに自刃した信長にしても、火が火を集めて業火に姿を変えなければその命を諦めずどこかに落ちのび、以降の歴史は大きく変わっていたかもしれない。
年末は火事が多くあるように見える。事実はそうでもなく春も多く、放火だが金閣焼失にしても夏の事であった。しかし季語としての置き処はやはり冬がしっくりくるのはいかにも燃えやすそうな乾いた大気と、澱みなくつめたい漆黒の夜空に炎が鮮やかに見えてしまう印象のせいかもしれない。そういえば芥川龍之介の小説の作中、地獄変の屏風絵を完成するために人を入れたまま檳榔毛の車を焼く処を見たいと望んだ絵師の良秀が、彼の最愛の娘を乗せたそれを、堀川の大殿に焼かれるのを見せられたのも、月のない真っ暗な夜の事であった。
火をつけるのは人でも、燃えさかるかどうかは火の方の都合だ。地獄そのままという他ないその光景は、夜の隈取りも手伝って偏屈な絵師の心を物狂おしく変容させるに十分なほど妖しく美しかったに違いない。
一方、冒頭の句の作者が遭遇したのは下五にあるように「昼の」火事であった。
火は外周の、それも敷地の奥まったあたりから建物全体を包んでいく。内部が煙に完全に包まれるまでの束の間、窓は昼の光を引き入れ、炎の額縁の中にその内装を露わにする。それは特段豪壮でなくても積み上げてきた生活のたしかな姿であり、将来への夢でもある。遠目に米粒ほどの家族写真らしきものも見えたかもしれない。楽しく選んだ筈の壁クロスの色柄は煤けて次第に焦げ色に変わっていき、やがて全体が炎と黒煙の色になると何処がどの部屋かすらわからなくなる。火はみずから集まり、対象の過去も未来も一旦そのすべてを「否定」し、「滅び」へと向かわせるー「昼の」、とあえて明確にすることで読み手の眼前にはその内装のある光景がリアリティを以て再現される。そしてそれがみえている時間は余所見していれば見逃してしまうくらいの短さの筈だが、「しばらく」の一語でスローモーションのように引き延ばされ、火事がささやかな日常においても「滅び」の表象であることが否応なく強調されるー作者は冷淡に思えるほど静かにその行程を見つめ、適格な表現で火事の本質を伝えてくれている。
金閣寺はその後住職みずから托鉢に立ち資金を集めるなどの苦心が実り、再建がなされた。
筆者の両親も火事の後しばらく隣町の親戚の家に厄介になったが、いつまでも焦げた匂いのくすぶる焼け跡にちいさな仮の住居を建てて移り、多くの人の協力を得て一年も経たぬうち、一旦は滅ぼされた家も家業も元に戻した。「どうにか生きてこれたわいね。」ーそれから何十年たったろう、亡父の書棚にしまってあった、焦げた写真の混じったアルバムをめくりながら母のそんな昔語りを聞いているのだった。
(小滝肇)
【執筆者プロフィール】
小滝肇(こたき・はじめ)
昭和三十年広島市生まれ
平成十六年俳誌「春耕」入会
春耕同人、銀漢創刊同人を経て
現在無所属
平成三十年 第一句集『凡そ君と』
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