中年の恋のだんだら日覆かな 星野石雀【季語=日覆(夏)】


中年の恋のだんだら日覆かな

星野石雀
(『薔薇館』)


 とある超結社若手句会で何歳から中年というのだろうと話題になったことがある。結成当時全員が20代であった句会だが、気が付けば皆、35歳ぐらいになっていた頃のことである。誰かが「35歳を過ぎたら中年だよ」と言い、「そうか私達も中年になってしまったのね」などと言って、しみじみと語り合った。

 2015年、NHK放送文化研究所が実施したアンケートによると、中年は40代から50代なかばぐらいまでという回答が多かったとのこと。しかし、江戸時代には20歳前後を年増、20歳を過ぎてから28、9歳ぐらいまでを中年増、それより上を大年増といった。時代によって中年の年齢は変化するということだ。

 中年の恋というと、私が10代の頃はいやらしい響きがあった。社会的地位のあるいい年頃のオジサマが若い女性にあんなことやこんなことを強要してしまうような変なイメージ。ところが、20代になるとドラマや小説の影響で、中年男性は大人で渋みがあって素敵というイメージに変わった。同世代男性の自分勝手で子供っぽい言動に不満を募らせていた頃でもある。大人びた服を着て、静かなバーで少し高いお酒を飲みながら語り合える男性に憧れた。

 男性もまた10代の頃は、中年女性の恋愛に嫌悪感を抱く。20代になり、様々な挫折を知ると、大人の女性に甘えてみたくなる。中年女性は世話焼きで包容力がある。遊園地に行きたいとごねることもなく、高い指輪をねだることもない。

 中年の男女には一定の恋愛需要が存在する。中年同士の恋愛も深いところまで分かり合えて良いものである。一方で、恋愛適齢期を過ぎた恋は、失ってゆく若さへの足掻きだとも言われている。

 40歳を過ぎると、油っこい物が食べられなくなり、朝までカラオケをする気力も無くなる。永遠に続くように思っていた20代の体力が無くなっていた事に気付く。40代という年齢は、老いることへの不安や複雑な人間関係からの孤独、若さに対する嫉妬や憧れなどが交差する年頃である。家族や仕事にがんじがらめの生活を忘れるひと時が欲しいと思っている頃にすっと入り込んでくるのが中年の恋なのではないだろうか。それは、押し込めていた心の闇に差し込んだ一条の光でもある。

 年齢を問わず、恋愛は人に力を与える。恋をした瞬間から排気ガスにまみれた街路樹も植垣を締め付ける昼顔も輝いて見え始める。建物の陰にはびこる十薬の花でさえ清純で美しい存在になる。恋をすると人は思春期に戻り、つまらない映画で涙を流し、眠れない夜を過ごす。アドレナリンとかフェロモンとかが大量に放出され精神的にも肉体的にも若さを取り戻すことが出来るのだ。

 中年が恋をすると、朝までカラオケも可能になりジャンクフードも美味しく感じられるようになる。髪型も服装も若々しくなり生活に活気がでる。だけれども現実的には、仕事も忙しく精神的にも肉体的にも持続力に欠ける。激しい恋の想いは数ヶ月が限度で、休養を必要とする。恋が冷めたわけではないのだが、中年の恋には、時間的な距離感が必要なのである。相手の恋人からするとその距離感が分からないので「もう飽きたのね。別れましょう」となる。「いやいや、別れたいわけではないから」と無理をする。全力疾走で追いかけて、休憩、逃げられると焦ってまた全力疾走みたいな。中年の恋がだらだらと後を引くのは、失った若さへの執着と体力的な問題があるからなのではないだろうか。

  中年の恋のだんだら日覆かな   星野石雀

 〈日覆〉とは、夏の強い日差しを避けるための布や簀(す)のこと。蕎麦屋や茶屋に掛かっている葭簀(よしず)などは、風情がある。また、街角のオープンカフェには縞模様の布地の日覆が張られている。青と白の縞模様は、涼しげで懐かしさを感じさせる。

 当該句の〈だんだら日覆〉は、縞模様の布地の日覆のことであろう。だんだら縞の日覆は、葭簀に差した光が編み出す縞模様を演出する。日覆の下には、白いテーブルが置かれ、縞模様が映る。

 中年の恋は、若き頃の恋とは違い直射日光ではない。時には明るく、時には暗い影を落とす。40代の中年男性は仕事盛りであり、バブル期には男盛りとも言われた。林真理子の小説『不機嫌な果実』では、30代になった既婚のヒロインが独身の年下男性の激情的な愛にほだされ離婚し再婚する。その一方で、独身時代に交際していた妻子のある中年男性の魅力にも気付いてゆく。40代男性の野心や狡猾さを学ぼうとしている一面も感じさせる。中年男性は、年下のヒロインからエネルギーを貰いつつ、受け止めきれない情熱はさらりとかわしてゆく。恋愛の距離の保ち方を知っているのも中年の魅力でもあり狡さでもある。あるときは、野獣のように追いかけ、疲れれば突き放し、相手が逃げれば追いかける。寒暑を繰り返し、細く長く持続させようとする。若い頃のように太く短くという考え方はない。

 当該句の恋は、一人の女性に対する恋の寒暑と同時に複数の女性との恋もあるのだろう。激しくも華やかな女性に飽きた後は、地味だが安らぎを得られる女性との恋もある。そんな、だんだら縞は、仕事や生活にも存在する。仕事に情熱を燃やす時もあれば、気を抜く時もある。常に一途ではないのだ。毎日全力疾走をしていたら疲れてしまうからだ。

 そして、中年の恋は、直射日光を避けなければいけない恋でもある。日覆の内側だけで終わらせなければならない恋。縞模様の光と影が肌を染める。

 女性の恋は、いつだって白か黒。直射日光か真っ暗闇かどっちか。中年になっても好きな時は好き、嫌いになれば嫌い。いつかだんだら縞のような情熱と倦怠を繰り返す、細くて長い恋に憧れる時が来るのかもしれない。だが、女性の美しい時は短い。だらだらとした中年男性の恋に付き合わされるのは迷惑千万な話である。

篠崎央子


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


【篠崎央子のバックナンバー】

>>〔45〕散るときのきてちる牡丹哀しまず 稲垣きくの
>>〔44〕春の水とは濡れてゐるみづのこと  長谷川櫂
>>〔43〕人妻ぞいそぎんちやくに指入れて   小澤實
>>〔42〕春ショール靡きやすくて恋ごこち   檜紀代
>>〔41〕サイネリア待つといふこときらきらす 鎌倉佐弓


>〔40〕さくら貝黙うつくしく恋しあふ   仙田洋子
>〔39〕椿咲くたびに逢いたくなっちゃだめ 池田澄子
>〔38〕沈丁や夜でなければ逢へぬひと  五所平之助
>〔37〕薄氷の筥の中なる逢瀬かな     大木孝子
>〔36〕東風吹かば吾をきちんと口説きみよ 如月真菜
>〔35〕永き日や相触れし手は触れしまま  日野草城
>〔34〕鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし    三橋鷹女
>〔33〕毒舌は健在バレンタインデー   古賀まり子
>〔32〕春の雪指の炎ゆるを誰に告げむ  河野多希女
>〔31〕あひみての後を逆さのかいつぶり  柿本多映
>〔30〕寒月下あにいもうとのやうに寝て 大木あまり
>〔29〕どこからが恋どこまでが冬の空   黛まどか
>〔28〕寒木が枝打ち鳴らす犬の恋     西東三鬼
>〔27〕ひめはじめ昔男に腰の物      加藤郁乎
>〔26〕女に捨てられたうす雪の夜の街燈  尾崎放哉
>〔25〕靴音を揃えて聖樹まで二人    なつはづき
>〔24〕火事かしらあそこも地獄なのかしら 櫂未知子
>〔23〕新宿発は逃避行めき冬薔薇    新海あぐり
>〔22〕海鼠噛むことも別れも面倒な    遠山陽子
>〔21〕松七十や釣瓶落しの離婚沙汰   文挾夫佐恵

>〔20〕松葉屋の女房の円髷や酉の市  久保田万太郎
>〔19〕こほろぎや女の髪の闇あたたか   竹岡一郎
>〔18〕雀蛤となるべきちぎりもぎりかな 河東碧梧桐
>〔17〕恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 飯島晴子
>〔16〕月光に夜離れはじまる式部の実   保坂敏子
>〔15〕愛断たむこころ一途に野分中   鷲谷七菜子
>〔14〕へうたんも髭の男もわれのもの   岩永佐保
>〔13〕嫁がねば長き青春青蜜柑      大橋敦子
>〔12〕赤き茸礼讃しては蹴る女     八木三日女
>〔11〕紅さして尾花の下の思ひ草     深谷雄大
>>〔10〕天女より人女がよけれ吾亦紅     森澄雄
>>〔9〕誰かまた銀河に溺るる一悲鳴   河原枇杷男
>>〔8〕杜鵑草遠流は恋の咎として     谷中隆子
>>〔7〕求婚の返事来る日をヨット馳す   池田幸利
>>〔6〕愛情のレモンをしぼる砂糖水     瀧春一
>>〔5〕新婚のすべて未知数メロン切る   品川鈴子
>>〔4〕男欲し昼の蛍の掌に匂ふ      小坂順子
>>〔3〕梅漬けてあかき妻の手夜は愛す  能村登四郎
>>〔2〕凌霄は妻恋ふ真昼のシャンデリヤ 中村草田男
>>〔1〕ダリヤ活け婚家の家風侵しゆく  鍵和田秞子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

関連記事