鶯や製茶会社のホツチキス
渡邊白泉
「戦争が廊下の奥に立つてゐた」、「玉音を理解せし者前へ出よ」などが代表句として取り上げられる渡邊白泉の戦後にはこんな句もある。
昭和23年3月、先週紹介した阿部青鞋に招かれて、白泉一家は岡山県英田郡巨勢村、今の美作市に移住した。青山育ちで、引越し前は世田谷に暮らしていた白泉にとって美作は安寧の地だったのだろうか。盟友阿部青鞋が近くにいることは心強かっただろうけれど。
掲句は転居してほどなく詠まれている。散策の折に出会った景色なのだろう。
『疾走する俳句 白泉句集を読む』(春陽堂書店 2012年)の中で中村裕は製茶会社で袋詰めをしているとの鑑賞を示している。「そのホッチキスの音が鶯の鳴声と唱和しているようでおかしいのだ」と。なるほどねー。相槌を打ちながらも少しばかり首を傾げもする。その当時なら製茶会社は茶箱で出荷していたのでは、とか、袋詰め作業に相応しい小型ステープラーが発売されるのは昭和27年だ、といった時代考証的な疑問もなくはないけれど、何かもっと大きな魅力がある気がするのだ。
で、それはしごく単純に取り合わせの妙かな、と思うのです。古来から和歌にも登場し愛されてきた謂わば本邦の美意識と舶来の文明の利器とが製茶を仲人にして出会った。私たちはそこに心地よい衝撃を感じるのではないかしらん。
「発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし。二ツ取合て、よくとりはやすを上手と云也」とは有名な芭蕉の弁。俳聖がこの句を耳にしたら「白泉、出来たり」とにっこりしたかもね。
今朝、珈琲豆を買いに行く途中で鶯を聞いた。新茶の季節も近いけれど、週末は買いたての珈琲を淹れてこの句をもう一度味わおう。
(『現代俳句の世界 16 富澤赤黄男 高屋窓秋 渡邊白泉集』朝日文庫 1985年より)
(太田うさぎ)
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【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】