生前の長湯の母を待つ暮春
三橋敏雄
(「定本三橋敏雄全句集」)
十代の頃に戦火想望句でならした三橋敏雄には、晩年に至ってもしばしば過去を想う句、あるいは、過去を元に現在を想う句が見受けられる。もっとも知られているのは戦争に関するものであろうけれども、それだけではない。常としてなにかある一点を、違う時間の位相から眺めようとしていたところがある作家であったように思う。
掲句は全句集の「しだらでん以後」より取った。「暮春」を詠んだ句なのだけれども、上五「生前の」と下五の動詞「待つ」の関係が作品内の時間の揺らぎをもたらすことによって読者に魔法がかけられてしまっていて、「生前の長湯の母を待つ」の部分の解釈が一つにおさまらないように思う。例えば、一つに、時計の針を母存命の頃に戻して、自分の過去の頃に遡ってその時の現在を詠んでいるとみる解。一つに、母は既に過去の人で、暮春にいる現在ただいまの私の気分が、昔、生前の母が長湯からでてくるのを待っている時の感覚のようである、とみる解。一つに、我もすでに死後の世界の者であり、親子共々生きていたころを振り返っているという解。いわば死後の未来から見た過去の想望句とでもいうべきもの。最後の解は極端で、初めの解が一番素直な読みということになるかもしれないのだけれども、これはどうもノスタルジーの気分が過ぎるように思われる。あえて冒頭に「生前」と置くことが、すぐに「没後」を想起させることを念頭におくならば、この句は、死者の世界と生者の世界が暮春に交わることを詠んだ句でもあるのではないだろうか。加えて「暮春」というのも、季節の暮と一日の暮の二つの世界にまたがる多面的な季語でもある。もしこの母の長湯が子にとって、母の不在の不安を記憶に刻印する出来事であったとするなら、日常と非日常の交差する局面とみることもできるだろう。それにしても、昭和、就中戦前における長湯の母を待つ子の気分とはどのようなものだったのだろう。あるいは、もろもろを一旦放り出して長湯に浸る「母」の気分とは、どのようなものであったろうか。そのようなことも気になってくる作品である。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。