【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#44】
写真の不思議
青木亮人(愛媛大学教授)
(画像44-1:伊賀上野市内で撮影。詳細は下記を参照)
写真に凝り始めた頃、すぐに感じたことがあった。撮った写真が紛れもなくヘタで、「なぜいい写真が撮れないのだろう?」と素朴すぎる疑問に突き当たったのである。
さらに困惑したのは、写真がヘタなのはいいとして、何をどのように改善すれば良くなるかが分からない、という点だった。
そもそも、自分は何をもって「よい写真」と捉えているかが漠然としており、何をもって「うまい」と感じたり、感じなかったりするかも不分明だったりする。
そのため、撮影時にあれこれ試行錯誤したり、様々な写真関連の本を読んで考えたり、プロで写真のうまい方(プロだから当たり前だ)からアドバイスをいただいたりした結果、いくつもの要因が重なっているらしいことに思い当たった。
その一つに、「自分が撮りたいと思っている絵柄と、実際に撮れている絵柄がズレている」というのがあった。例えば、フィルムカメラで撮る時は50ミリのレンズを常用したのだが、自分が撮りたい絵柄や構図と、実際に50ミリレンズで写した絵柄が合っていないのである。
一言でいえば50ミリを使いこなせていない、つまり50ミリを使ってどのように奥行きを出したり、角度や構図の整理をすればよいかといったことをほぼ意識せずにシャッターを切るため、結果的に自分がイメージする雰囲気と大幅にズレた写真が出来上がってしまうのだ。
冒頭の写真は伊賀上野市内を散策している時に撮った一枚である。果物や野菜が売られているお店のレトロな雰囲気や「たばこ」の看板に惹かれて撮ったのだが、看板の立体感や奥行きの出し方を考えずに撮ったため、真正面からノッペリした撮り方になった。
「たばこ」の看板に注目したのだろう、というのは何となく分かるが、周囲がまるで活かされていないために、写真の中の看板が妙に浮いた感じになっている。
例えば、もう少し左に寄って「たばこ」の看板の立体感を出したり、そして右側の小さな植木鉢の並びや奥側の日除けを利用しながら奥行きを出した方が写真としてはうまくいったのかもしれない。
それに写真やや下の西瓜や玉葱、手書きの値札や、看板下の風鈴といった物を構図内に活きるように整理しながら、それらと「たばこ」の看板を関連させることができれば、統一感のある雰囲気を観る側に訴えることができたように感じられる。
これと同じパターンの謎構図(?)が下の一枚だ。
(画像44-2:伊賀上野市内の神社。フィルムで撮影)
これも奥行きその他を考えずに正面から平板に撮った一枚で、白い雑巾(手拭?)に惹かれたのは分かるが、それを活かすために50ミリレンズでどのように構図を整理すればよいかを意識せずに撮った感じが濃厚である。
もちろん、構図云々や撮影者がイメージしている絵柄をあえて振り捨て、現場の臨場感や偶然に満ちた生々しい写真の迫力というのもあり、史上の傑作写真にはそういう作品が多数存在するが、そのはるか以前に基本的な技術や撮り方が出来ていない、ということに早々に気付いたのだった。
と、このように自分で撮った写真のヘタさ加減をあれこれ検証していた時、ふと気付いたことがあった。それは、文章では写真に感じるほどのズレを感じないという点である。自分が述べたいと思っている内容と、実際に書かれた文章の落差が写真とは比較にならないほど小さく感じられ、それが妙に不思議に感じられるようになった。
それに文章の場合、出来上がった文自体が、事前に述べたかったイメージや内容以上の何物かを代弁してくれているように感じることすらあるが、写真でそういう感触を得られたことはほぼない。
同時に厄介なのは、カメラをぶら下げて散策しながらシャッターを切るのは何ともいえない至福のひとときであり、なぜそこまで楽しかったのか、われながら不思議でもある。
いつか神様にお目にかかる機会があれば、そのあたりの機微をうかがえればと思っているが、どうも怖い真実を聞かされる羽目に陥る気もするため、知らない方が良いのかもしれない。
下の写真も微妙な一枚で、50ミリで撮る場合は立ち位置をもう少し考えた方がよいのでは……という気がするが、楽しかったのはよく覚えている。
(画像44-3:山口県柳井市で撮影)
【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』『教養としての俳句』など。
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