竹秋や男と女畳拭く
飯島晴子
秋と言いながら何故か春の季語の「竹秋」。竹は、春から初夏にかけて地中に育つ筍に栄養分を与えるために葉が黄ばむ。その黄葉の様を捉えて「竹の秋」と言う。そう知ったとき、妊娠中に前髪がごそっと抜けたとか、歯が悪くなったとかの友人のエピソードを思い浮かべたものだ。対になるのは「竹の春」で、これは秋の季語。育った筍が秋には一人前に成長し、親竹も勢いを取り戻して青葉を茂らせることに由来する。
「竹秋」はそのように竹が己の秋を迎える頃、という意味で陰暦三月の異称。ただ、異称とは申せ、言葉の背景には日を浴びて黄昏色に戦ぐ竹林の姿を見なければならないだろう。
飯島晴子は吟行の人だったらしい。「俳句の締切が近づくと、日帰りできる関東の山々を一人で歩くことになった。秩父、奥多摩、奥武蔵、甲斐の山々である」(『飯島晴子読本』富士見書房 2001年)。掲句もそうした吟行のなかから生まれた作品の一つかもしれない。
竹林に囲まれた家、窓を開け放ち男女が一心に畳を拭いている。傍観者には二人の関係は分からない。「男と女」という書き方から、親子ではないだろうくらいの見当は立てられるけれど、夫婦か、親類同士か、下働きの者か。属性を取り払われたこの男女に鷹羽狩行の「一対か一対一か枯野人」の緊張感を重ねるのは間違っているだろうか。日ごろ自分たちが踏み歩く畳に這いつくばりせっせと雑巾がけをする二人には何か時空を超えた業のようなものすら感じてしまう。翳りのときを迎えた竹は彼らの歳月のメタファーとも読める。
竹と言えば竹取物語という短絡な連想のせいかもしれないけれど、どこか絵巻物を眺めているような気もする一句。
(『花木集』現代俳句協会 1984年より)
(太田うさぎ)
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【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】