じゆてーむと呟いてゐる鯰かな
仙田洋子
「じゆてーむ」は” je t’aime”、英語ならI love you、「あなたを愛しています」という意味のフランス語。フランス語ちんぷんかんぷんの私でも知っているほどだから、説明するまでもないかな。
初めてこの句を読んだとき「じゆてーむ」って何?と一瞬困惑を覚えた。目は書かれている通りに”JI-YU-TEE-MU”という音を脳に伝達するけれど、脳はその音に相当する語彙を上手く見つけられない。「ジュテーム」のことだと理解するまでの僅かな時間を、意味不明という宙吊り状態に置かれるのはちょっとした体験だ。歴史的仮名遣いを手玉に取りやがったな、と感心する。
その意味では、これは聴覚よりも視覚に訴える俳句と言えるのだろう。声に出してみると割とさらりとした印象なのに、「じゆてーむ」の字面はまるで地底から低く響いてくる呪文のようだ。しかも、この言葉は呟かれている。相手の耳元に口を寄せてするのは囁きで、呟きは一人漏らすものだ。「アイラブユー」と言いながら、肝心の”あなた”は実体として傍にいないのです。鯰氏は胸中の思い人に向かって愛の言葉を発しているのだ。ちょっとストーカーっぽい、と思ってしまうのは鯰のぬるりとした姿のせいかしらん。いやいや、ひょっとして、彼は深遠なる哲学者であって、「”我汝を愛す”とは如何なることにや」と思索にふけっているのかもしれない。そういえば、ナマズという漢字は魚編に念と書く。何やら意味あり気・・・。
川底の物陰で鯰が髭を戦がせながら呟いたje t’aimeは幾つかの泡となって登って行っただろう。念ずれば通ず。水面に割れた泡の言葉を作者はしかと聞き留めたのだ。
(『はばたき』角川書店 2019年より)
(太田うさぎ)
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【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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