あづきあらひやひとり酌む酒が好き 西野文代【季語=小豆洗(秋)】


あづきあらひやひとり酌む酒が好き

西野文代


子泣き爺、砂掻け婆に一反木綿、ぬらりひょん・・・日本の妖怪の名は「ゲゲゲの鬼太郎」で覚えた。私世代なら、幼い頃に水木しげるの漫画を通して彼らに親しんだ人は少なくないだろう。

小豆洗いのエピソードはすっかり忘れているけれど、名を聞けば姿がパッと目に浮かぶ。髪型と顔の造作が写真家の荒木経惟にそっくりの華奢な老人が川原で前屈みになり桶の小豆を洗っている姿が。鬼太郎キャラクターのなかでも結構人気者ではないか。

そんな小豆洗い。川原で小豆を洗い終えたら家に戻り独酌を愉しむのだという。小豆を煮ながらの手酌酒、いいなぁ。肴はやっぱりいとこ煮だろうか。もしかしたら小豆は内職のお手玉作りにも使うかもしれない。内職のお駄賃が入った夜は少し高級なお酒を買って、いつもより一合くらい余計に飲むのが無上の喜びだったりして。お酒の相手をしてくれる人が傍にいないことを寂しいとも思わないし、つましい暮らしぶりに文句もない。今夜も酒が旨い。極楽極楽、と煎餅布団にごろりとなるやもう寝息を立てている。

というのはぜんぶ私の妄想で、「あづきあらひ」は茶立虫のことだ。障子に止まってゴソゴソするときの音が茶筅で茶を立てる音に似ているため名付けられたとか。小豆を洗う音にも喩えられるので小豆洗とも呼ばれるそうだ。そこで改めて掲句を読み直す。体長数ミリの虫が立てるささやかな音が耳に入るのは部屋が静かだから。好みの間合いで酒を注ぎながらよしなしごとに思いを馳せる。ふと聞き留めた、サササササという音。おや、てっきり一人と思っていたらこんな連れがいたとはねぇ。お前さんが相手をしてくれるのかい。それならば、ともう一献傾ける・・・。微小な存在へ投げかける目線が優しく、また夜長の句としても風雅だ。「茶立虫」を使わなかったのは「茶」と「酒」がどちらも飲み物という近さを避けたかったからだろう。しかし、私のように誤読へ突っ走る読者がいることも頭に入れていたに違いない。してやったりという作者の茶目っ気あるいは目配せをこの俳句の奥に隠れているように思えるのだ。

『それはもう』本阿弥書店 2002年より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


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