ビール買ふ紙幣をにぎりて人かぞへ
京極杞陽
何度目かの緊急事態宣言が始まって、もう、何をしてよくて何をしないでほしいのか、よくわからなくなってしまった今週の東京、梅雨は終わりに向けて唐突さを増しています。この唐突さは、もう梅雨のものではないのではないかと思う一方、梅雨が変容したのかもしれないとも。唐突と言えば、オリンピックもあと一週間、ってことは、来週の私のハイクノミカタの日は開会式の予定の日とな…ややこしいことになったもの、まずは今週の金曜ですよ。
先週、「フラミンゴ同士暑がつてはをらず」の句の作者が思い出せなくて、これまで句を取り上げた句集を読み直すなかで、見つけてしまったビールの句をいくつか書き出した。これだけ暑くて、風通しのいいテラスにも行けず、折よく、夜景さんから、「ハイクノミカタ」のコンセプトのリマインドもあったことであるし、英国ミステリードラマでおいしそうなシーンを観たことでもあるし、見損なったけど今朝(水曜だ)の情報番組にいつもビールを買う酒屋と店主が映ったとかいうことだし、今週はビール好きによるビール好きのためのビール大好き句特集ですよ。
ビール買ふ紙幣をにぎりて人かぞへ 京極杞陽
「ビール飲む人」という言葉を、そのままに受け取る人はあまりいまい。「Human who drinks beer」ではない。飲む人の数を尋ねている。
片手で点呼、逆の手には紙幣。目測で足りるくらいの金額。でも、余るともったいないし、足りないと困るから一応、二回数える。それでも時にこのカウントは間違う。自分のことを数え忘れていたなら、追加すればすぐ来るし、多く来れば、誰かが「いいよ、もらうよ、すぐ飲んじゃうから」と言う。「すぐ」っていうのが、ビールのいいところだ。それにしても、この何気ないのにいとおしい人の一瞬をとらえるのが杞陽は本当にうまい。
新しきカラー固くてビールのむ 千原草之
シャツの襟の内側の部分が喉に当たって、一日が暮れようとしている。朝からの小さな違和感はそれなりに積み重なって、それを意識してか、打ち消すためか、ビールを飲み干す。炭酸は副交感神経を優勢にする。副交感神経は、リラックスさせる神経。だまされたと思って、炭酸水を飲んでみると、半分くらいはだますことができる。後年、草之には〈よき風とビールとあれば心足る〉という句もある。ある意味での(ビールだけに)熟成と言えるのだろうけれど、先句のほろ苦さ、生固さのほうが、私は好きだ。
冷えきりてすこし縮みしビールかな 成瀬正俊
冷えたビールはもてなしの証。というのは、お国柄にもよるらしい。確かに日本のこの蒸し暑さ、日本のさらっとしたビールがぬるければ、「へーい」か、「おーい」かって言いたくなることもあるけれど(この両方の呼びかけが、英国ミステリーでも聞くことができます)、それでも適度というものがある。個人的には、冷凍庫でジョッキまで冷えていて飲んだ時に唇が引っ付く感じがするのはどうなのって思う。成瀬正俊はどうだろう。ビール縮んじゃってるよと、殿らしくユーモラスに言いながら、句の底に「ちょっと少ないんじゃないの」という、「冷え過ぎだしさ」という、小さな批判が見えなくもない。「ちょっと少ない」っていうのは、ビールにあるまじき姿だ。
ビールはわがままが似合う。でも、そのわがままは聞き入れてもらわなくてもいい。ただ、言いたいだけだ。ビールは寛容だ。スーパー〇ライと、ベルギーの白ビールと、イギリスのペールエールとが同じ区分けのアルコールだなんて、そもそも幅がありすぎる。早くそれが街に戻ることを祈りながら、家でせめてわがままに飲む。
それでは、みなさん、よい週末を。わがままにお付き合いいただき、ありがとうございました。
『但馬住』(1961年)、『垂水』(1983年)、『院殿』(1995年)所収
(阪西敦子)
【執筆者プロフィール】
阪西敦子(さかにし・あつこ)
1977年、逗子生まれ。84年、祖母の勧めで七歳より作句、『ホトトギス』児童・生徒の部投句、2008年より同人。1995年より俳誌『円虹』所属。日本伝統俳句協会会員。2010年第21回同新人賞受賞。アンソロジー『天の川銀河発電所』『俳コレ』入集、共著に『ホトトギスの俳人101』など。松山市俳句甲子園審査員、江東区小中学校俳句大会、『100年俳句計画』内「100年投句計画」など選者。句集『金魚』を製作中。
【阪西敦子のバックナンバー】
>>〔41〕フラミンゴ同士暑がつてはをらず 後藤比奈夫
>>〔40〕夕焼や答へぬベルを押して立つ 久保ゐの吉
>>〔39〕夾竹桃くらくなるまで語りけり 赤星水竹居
>>〔38〕父の日の父に甘えに来たらしき 後藤比奈夫
>>〔37〕麺麭摂るや夏めく卓の花蔬菜 飯田蛇笏
>>〔36〕あとからの蝶美しや花葵 岩木躑躅
>>〔35〕麦打の埃の中の花葵 本田あふひ
>>〔34〕麦秋や光なき海平らけく 上村占魚
>>〔33〕酒よろしさやゑんどうの味も好し 上村占魚
>>〔32〕除草機を押して出会うてまた別れ 越野孤舟
>>〔31〕大いなる春を惜しみつ家に在り 星野立子
>>〔30〕燈台に銘あり読みて春惜しむ 伊藤柏翠
>>〔29〕世にまじり立たなんとして朝寝かな 松本たかし
>>〔28〕ネックレスかすかに金や花を仰ぐ 今井千鶴子
>>〔27〕芽柳の傘擦る音の一寸の間 藤松遊子
>>〔26〕日の遊び風の遊べる花の中 後藤比奈夫
>>〔25〕見るうちに開き加はり初桜 深見けん二
>>〔24〕三月の又うつくしきカレンダー 下田実花
>>〔23〕雛納めせし日人形持ち歩く 千原草之
>>〔22〕九頭龍へ窓開け雛の塵払ふ 森田愛子
>>〔21〕梅の径用ありげなる人も行く 今井つる女
>>〔20〕来よ来よと梅の月ヶ瀬より電話 田畑美穂女
>>〔19〕梅ほつほつ人ごゑ遠きところより 深川正一郎
>>〔18〕藷たべてゐる子に何が好きかと問ふ 京極杞陽
>>〔17〕酒庫口のはき替え草履寒造 西山泊雲
>>〔16〕ラグビーのジヤケツの色の敵味方 福井圭児
>>〔15〕酒醸す色とは白や米その他 中井余花朗
>>〔14〕去年今年貫く棒の如きもの 高浜虚子
>>〔13〕この出遭ひこそクリスマスプレゼント 稲畑汀子
>>〔12〕蔓の先出てゐてまろし雪むぐら 野村泊月
>>〔11〕おでん屋の酒のよしあし言ひたもな 山口誓子
>>〔10〕ストーブに判をもらひに来て待てる 粟津松彩子
>>〔9〕コーヒーに誘ふ人あり銀杏散る 岩垣子鹿
>>〔8〕浅草をはづれはづれず酉の市 松岡ひでたか
>>〔7〕いつまでも狐の檻に襟を立て 小泉洋一
>>〔6〕澁柿を食べさせられし口許に 山内山彦
>>〔5〕手を敷いて我も腰掛く十三夜 中村若沙
>>〔4〕火達磨となれる秋刀魚を裏返す 柴原保佳
>>〔3〕行秋や音たてて雨見えて雨 成瀬正俊
>>〔2〕クッキーと林檎が好きでデザイナー 千原草之
>>〔1〕やゝ寒し閏遅れの今日の月 松藤夏山