あえかなる薔薇撰りをれば春の雷
石田波郷
「春の雷」は、啓蟄の頃の雷と思って読んだ。虫も土から出るか出ないかの時分、茎のか細い薔薇の中から割合良いものを選んでいたところ、ひとつふたつ春の雷が閃いた。そのうちに雹が降って来るかもしれない。こういう頃の「あえかなる薔薇」だから、自然に育ったものというよりも、人の手が過分に加えられて育ったものを思った。さらに、そういう希少な薔薇が需要され、まず先に選るほどの数が仕入れられているところだから、新宿とか銀座とか、そういう都会の街角を思い浮かべた。この句は、波郷の第一句集『鶴の眼』の巻頭「バスを待ち大路の春をうたがはず」の次に載っており、「銀座千疋屋」の詞書がある。都会的な抒情が、ときじくの薔薇や不安定な天候とも手を結んでいる感じがある。
なんと言っても句の響きがとても良い。
「aekanaru baraerioreba harunorai」と書いてみるといくらか分かりやすいかもしれないが、母音のaと子音のrが度々現れる。しかも、それが変にうるさくない。
句評で「韻律が良い」とか「響きが良い」とか言われることがある。だが、これはある程度共有されている価値観(例えば季語の本意みたいなもの)からの評とは違って、感覚的な評の場合が専らである。
私自身、句の響きをうまく評せないものかと思って、学部生の頃に音響心理学とかオノマトペの研究を覗いてみたことがあったが、なかなかうまくいかなかった。その後、「弱強五歩格」とか、その他にも英詩の韻律などについても少しだけ読んだけれど、俳句の短さという点でなかなか難しいと思うことが多かった。無論、ここに並べ挙げたのは、私の怠惰と移気と能力の限界であって、俳句のアポリアとかそういうことを言いたいわけではない。
結局、私が句の響きの良し悪しを判断する時の基準は、多作多捨や多読多憶の過程で得てきた感覚に因っている。感性というよりは美学に領するもので、「五七五が日本人の感性をくすぐる」などという高尚な感覚には今生一度も襲われたことがなく、そういう感性から始まっている俳句という定型詩のどうのこうのではない。
句の響きを意識するときに関連して思うことは、「良い」とか「ダサい」とか、そういう気分である。例えば、五七五のそれぞれの頭や脚だけに、いかにも意識して均一に音を並べている風な句を読むと、すこぶる「ダサい」と感じてしまう。定型として短い俳句で、また声調もあまり抑揚がない日本語で、こういう風に平坦に韻を踏むと、駄洒落くさくなったり、酷く単調になったりするということもあるのかもしれない。ただ、私はそういうことよりも、今まで読んで書いてきた俳句の感覚の中で”不自然”に思え、それで「ダサい」とか気持ちが悪いとか思ってしまうのだ。字余りとか破調についても感覚としては割にこれと近い。”不自然”な感じがして気持ち悪いとか、そういう感覚である。「中八」についても、一律総じて採らないというわけではないが、多くの場合は気持ちが悪くて採らない。
私は句を書く時に、韻の配置を先に決めるとか、そういう計算をするのではなく、あくまで語感や口にしたときの流れを意識することが多い。また、吟行の時こそ、こういうことに拘る傾向にある。なるべくその場で素早く一句を凝結させようと思っていて、二、三度口にして悪くなければ控えておく。それから時間を置いてまた読んでみる。句の響きをあとから計算して推敲するということはほぼ無い。
句の型や文体と呼ばれるものの流行り廃りもあるだろうし、切れに関する思想の変容もあるだろう。句の響きをめぐる過去の言説を丹念に読み集めていけば、もしかするとそういう変遷と関わっていて、時代や批評の場によって全然違う評価がなされているのでは、と思いもする。
(安里琉太)
【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「滸」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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