【#38】山口誓子「汽罐車」連作の学術研究とモンタージュ映画


【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#38】

山口誓子「汽罐車」連作の学術研究とモンタージュ映画
青木亮人(愛媛大学教授)

山口誓子の有名な「汽罐車」連作は、「大阪駅構内」という題で下記の五句が並べられた句群である。

夏草に汽罐車の車輪来て止る

汽罐車の煙鋭き夏は来ぬ

汽罐車の眞がねや天も地も旱

汽罐車の車輪からくと地の旱

夏の川汽車の車輪の下に鳴る (1933)

この連作について以前から引っかかる点が複数あった。
そのため発表当時の資料を調べ、考察を加えて論文にまとめた後、全国学術誌「昭和文学研究」に「「汽罐車」のシンフォニー 山口誓子の俳句連作について」として掲載させてもらったことがあった(2016)。

誓子連作について引っかかた点とは、例えば次のような点だ。
「汽罐車」連作は後に「夏草に」句が単独で有名になり、「二物衝撃」の好例として盛んに言及されるようになった。

「二物衝撃」は「取り合せ」を誓子流に表現したもので、「衝撃」というのはロシアの映画監督、エイゼンシュテインの「モンタージュ」から来ているとされる。

誓子は戦前からエイゼンシュテインのモンタージュに言及しており、戦後も自作を説明する際に「エイゼンシユタインの「二物の衝撃」」(昭和40年代)云々と述べるなど、その影響は自他ともに認めるものであった。

引っかかる点というのは、エイゼンシュテインの映画は共産主義的傾向があると危険視され、戦前の日本では上映禁止になっており、映画関係者も含めてエイゼンシュテインの代表作「戦艦ポチョムキン」を観た者は皆無に等しかったはずである。

つまり、誓子は「戦艦ポチョムキン」を観ていない状態でエイゼンシュテインのモンタージュを論じていたことになる。それが何を意味するのか、従来の研究や評論では全く触れられていない点だった。

他にも引っかかる点はいくつもあり、例えば、誓子がエイゼンシュテインをイメージした「二物衝撃」を強調したのは一句の取り合せを異なる肌合いで示す場合であり、連作自体については次のように論じていた。

モンタアジユは連鎖である――P

モンタアジユは衝撃である――E(略)

一個の作品の構成過程に於ては(略)エイゼンシユテイン風の「衝撃」の方が、より高度のモンタアジユ手法と考へられもしよう。(略)

連作俳句の「個」はプドフキン風な連鎖をこそ、そのモンタアジユ手法として採用すべきである。(誓子)

「P」はロシアの映画監督プドフキンを指し、また連作は「衝撃」よりも個々の「連鎖」を重視すべき、というのである。

エイゼンシュテインや「衝撃」と誓子句についての言及は現在も多数に上るが、プドフキンや「連鎖」と誓子連作の関係について詳細に論じた先行研究は見た限りでは存在しなかった。

そのため、誓子連作をプドフキン風の「連鎖」で捉えるとどのようになるのかが明らかにされておらず、それが引っかかる点の一つだったのだ。

そのようにして当時の映画状況や誓子の「汽罐車」連作の同時代評を調べていくと、これまで紹介されてこなかった資料や評が多数存在することに気付いた。

例えば、当時モンタージュを駆使した映画は「衝突」という表現よりも、「連鎖」や「メロディー」、また「リズム」「シンフォニー」といった語彙で印象が述べられる場合が多く、誓子の「汽罐車」連作もその方向性で同時代俳人が受け取っていたことが分かった。次はその一例である。

夏草に汽罐車の車輪来て止る

「都会交響楽」とでもいふ映画の序幕を見るやうだ。 (1933)

「汽罐車」連作は発表当時から映画を強く連想させていたことがうかがえるが、同時にそれは「衝突」云々ではなく、「都会交響楽」という印象を抱いたというのだ。

このように当時の資料を調べていくと、同時代の俳人たちは誓子の「汽罐車」連作に「衝突」ではなく「~交響楽」と音楽を比喩に語る傾向にあることが判明したが、私は調べるうちに次のような疑問を抱くようになった。

同時代俳人は、なぜ「都会交響楽」という表現を用いて誓子連作を評しようとしたのか? という点である。

何か「汽罐車」連作に近い世界観を持つ映画が当時存在し、それを彷彿とさせるために「都会交響楽」という語で評しようとしたのではないか、と感じられたのだ。

そうやってあれこれ調べていくと、「~交響楽」という題の映画は複数存在しており、中でも実験映画監督のヴァルター・ルットマン作『伯林 大都会交響楽』(1927)という映画が日本上映されていたことが分かった。

しかも、誓子は『伯林』を論じた海外の映画評論を読んでおり、加えて実際に上映作品を観た可能性もかなり高いことが判明した。誓子は「伯林」を知っていたのである。

下の映像は、ルットマンの『伯林』である(無声映画版)。冒頭から少し経った後、蒸気機関車がベルリン駅に入って停車するシーンは、まさに「夏草に汽罐車の車輪来て止る」を彷彿とさせる場面といえよう。

私はこの映画を観た時、なるほど、と感じた。誓子は「汽罐車」連作を「構成」する際、エイゼンシュテインではなく、むしろ『伯林』のようなイメージを想定していたことを実感しえたのである。

これら一連の内容は山口誓子の研究や俳句史研究では全く指摘されておらず、個人的には世紀の大発見と昂揚感を抱きながら学術論文にまとめ、掲載させてもらったのだが、論文発表後も全く反応がなかった。

加えて、その後の山口誓子関連の論文や評論でもほぼスルーされてしまい、社会や世間の手強さを知ることになったのである。

ただ、その時に調べた1920年代のモンタージュ映画や前衛映画に異様に詳しくなり、それは後々に大きな知的財産になった。プドフキンの映画は無論のこと、ヨーロッパの各映画を鑑賞し、グリフィスの「イントレランス」その他のアメリカ映画も観るなど、まとめて観る機会がなかなかない昔のマニアックな映画を一気に観た体験は得がたいものがあった。

あまりに白黒映画を観すぎたため、論文執筆後、カラー映画を観ると一瞬「新しい映画だな」と感じてしまう自分に微妙に困惑したことを覚えている。

その時に調べたり、集めた映画資料やポスターのコピーは数多く、たまにそれを見直すと新たな発見も少なくない。例えば、チャップリンの「街の灯(City Lights)」の公開が予定より大幅に遅れていたらしく、ポスターの描き手は想像で描く他ないため、夜の都会のネオンを描いてごまかした宣伝ページが『キネマ旬報』に掲載されていたりと、なかなか面白い資料があったりする。

そういった感じで1920~1930年代の映画資料をひとしきり眺め、資料を閉まった後、これも教養の肥やしになるだろう、と思いこむようにしている。

なお、拙稿「「汽罐車」のシンフォニー 山口誓子の俳句連作について」は、下記のリンク先から閲覧可能。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/showabungaku/73/0/73_28/_article/-char/ja/


【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』など。


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