【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#49】
かつて観た映画の予告篇やPVを観る楽しみ
いつからか映画の予告篇やプロモーション・ムービーを観るのが楽しみになった。それもこれから観る作品の宣伝映像ではなく、以前に観た映画の予告編等を観直すと独特の味わいがある。
BGMに合わせて矢継ぎ早に流れゆく数々のシーンは懐かしい場面や台詞ばかりで、人生最期の瞬間に記憶が走馬灯のように現れては消えゆく気配があり、妙に心地良いのだ。
もちろん、最期に人生の記憶がフラッシュバックするかどうかは未経験なので詳細は不明だが、噂によると生まれてから死ぬまでの膨大な記憶が脳裏に明滅しながら流れるらしい。それは映画のプロモーションムービーのような肌合いに近いのでは、と勝手に考えることにしている。
そんな感じ(?)でたまに観るのが、ジャン=リュック・ゴダールの“Pierrot le fou(気狂いピエロ)”の予告編である。
“Pierrot le fou”はヌーヴェル・バーグの傑作と喧伝され、様々な研究がなされているが、個人的には各場面の色彩感覚がたまらなく好きだ。この予告篇も赤と青の色彩の反復が素晴らしく、色そのものにリズムや旋律が湛えられているように感じてしまう。そのためか、“Pierrot le fou”の予告篇は定期的に観たくなり、そのたびに赤と青の反復に見とれるとともに、かつてゴダール作品を色々観ていた昔のことを思い出しながら懐かしんだりする。
こういった予告篇とともにプロモーション映像も折々観るのだが、例えば「現在のエヴァンゲリオン」も観ていると楽しい。
2021年に公開された新劇場版のプロモーション映像で、BGMにはバッハの「主よ、人の望みよ喜びよ」が用いられている。この曲は1990年代の旧劇場版でも使われており、最後の場面でアスカが主人公のシンジに向かって「気持ち悪い…」と呟いて作品が終わった後、エンディングロールに切りかわった際に流れていた。
旧劇場版シリーズは全編に終末感が漂い、シンジは「僕なんて居ても居なくてもいいんだ」と絶望感に苛まれつつ絶望的なラストを迎えていたが、新劇場版ではあのシンジが「なんでみんなこんなに優しいんだ」と痛感したり、「愛してる」とさえ言われるようになった。90年代のテレビシリーズや旧劇場版のシンジを知る往年のファンは、新劇場版の彼や状況の変化に驚いたはずだ。
そのためか、90年代の旧劇場版EDに流れていた「主よ~」を2021年の新劇場版プローモーションムービーのBGMとして聴いていると、何だか感無量になる。「シンジ、大人になったな…」としみじみしてしまうのだ。そして、旧劇場版から20年以上も経っていることにも驚いてしまう。
ところで、人生最期の瞬間に見るという記憶の走馬灯のようなフラッシュバックが仮にプロモーション・ムービーや予告篇に近いとすると、自分で自分のプロモーション映像を観るようなものなのだろうか、とふと考えてしまう。
ということは、プロモーション・ムービー的な記憶の奔流の出来が良ければ、自分の人生は悪くなかった…と思いながら最期を迎えることができるのだろうか。そうだとすれば、少しでも良い記憶の映像になるように身を引き締めて生きていった方がいいのだろうか、とよく分からないことまで考えてしまう。
もちろん、これらのことは考えても分かるはずがない。そもそも、人生の最期にそういった記憶のフラッシュバックを体験するかどうかは不明であり、それに大したことのない人生を歩んでいても、自己演出的にステキな記憶を都合よく編集した優しめのフラッシュバックが展開されるかもしれない(またはその逆かもしれない)。
そんな風に分からないことを考えていると、これまでの人生で分からなかったことや未解決の出来事などがあれこれ思い出され、さらに答えのない思考にハマって収拾が付かなくなるため、そういう時には以前に観た映画の予告篇やプロモーション・ムービーを観ながら作品の場面や登場人物の台詞を思い出しつつ、少しだけ人生から逃避することにしている。
【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』『教養としての俳句』など。
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