1 名前:名無しさん@手と足をもいだ丸太にして返し
湊圭伍
川柳における〈言葉派〉の歴史は長い。と、わたしが感じる句のひとつに『誹風柳多留』の
柄杓うりなんにもないを汲んでみせ
があります。これは曲物(わげもの)売りのしぐさを詠んだもので、汲んで見せているのは水ではなく「なんにもない」。つまり水が漏ればつかいものにならない柄杓を、実演に見せかけて身ぶり手ぶりですましているという話で、そこに川柳らしい笑いと穿ちがあるわけですが、とはいえこの句の見どころは「なんにもないを汲む」という発想(言い回し)を写実において形にしたことにある。笑いよりも、穿ちよりも、措辞そのものに驚くこと。それが川柳なのかもしれないーーそんなふうに思う局面ってすごく多いです。
プランナーどうでもいいを盛ってみせ 湊圭伍
句集『そら耳のつづきを』をめくっていたら、上の古川柳の発想をベースにした句を見つけました。こちらの商売人はプランナーです。そして盛ってみせるのは「どうでもいい」。ゼロになにをかけたってゼロで、嵩が増さないのと同じで、どうでもいいプランはなにをしたってどうでもいいプランにしかなりません。句の骨格がしっかりしているので脱力感が内に籠らず抜けがいい。変なくすぐりがなく、乾いているところも好みです。さらにページをめくると、もっとすごい社会詠がありました。
1 名前:名無しさん@手と足をもいだ丸太にして返し 湊圭伍
鶴彬〈手と足をもいだ丸太にして返し〉をベースにしています。手と足をもがれた丸太は、人間性を奪われているという意味で確かに名無しですけれど、それを5ちゃんねるという匿名掲示板の、ハンドルネームのない名無しとコラージュしてみせるなんて、こんな言い得て妙な本歌取りってなかなか目にしません。笑いよりも、穿ちよりも、措辞そのものに驚くことが川柳ではないかという一つの仮説に、ぜひ付け加えたい一句です。
(小津夜景)
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【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】