【第32回】
城ヶ島と松本たかし
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
城ヶ島は神奈川県の三浦半島最南端。鮪の遠洋漁業三崎港沖の南200メートルに、防波堤のように浮ぶ周囲四キロの島で三浦市三崎町に属する。南は太平洋の荒波に刻まれた岩礁や海蝕崖に囲まれ、「海鵜渡来地」でもある。
幕末に砲台や遠見番所が設けられ、明治以降第二次大戦終戦までは、海軍の要塞であった。戦後城ヶ島公園が造られ、1960年には、城ヶ島大橋が開通。三崎港と一体化し、行楽客・釣人が増えた。明治3年点灯の、西洋式としては五番目の城ヶ島灯台がある。三崎を愛した詩人北原白秋の「城ヶ島の雨(雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の雨がふる)」で全国的に知られ、戦後歌碑が建立された。城ヶ島公園には、松本たかしと角川源義の句碑がある。
松虫にささで寝る戸や城ヶ島 松本たかし
蠅とめて島の痩麦禾ながし 石田波郷
火の島へ一帆目指すよ芋の露 角川源義
蒲公英や鮫あげられて横たはる 水原秋櫻子
をみならとくらげとわたる城ヶ島 森 澄雄
たかし忌の寺より見ゆる城ヶ島 上村占魚(本瑞寺)
男動かぬ断崖の冬鵜が鳴けり 野沢節子
城ヶ島とは平らなる春の山 清崎敏郎
白秋碑冬の夕映海に沈み 加畑吉男
男岩汗かいてゐし城ヶ島 大木あまり
たかしの句は、昭和13年の作で、第二句集『鷹』に収録。要塞だった当時の城ヶ島は、渡航に制限があり、そのため、島の漁家は、戸締りもすることなく松虫の声に包まれて、安らかに寝静まっている。三崎の風光を愛し、しばしば来遊した当地に、主宰した「笛」俳句会が昭和四十四年に建立した句碑がある。又、源義の句は城ヶ島から望む伊豆大島の景である。
占魚は、たかしの高弟で、師の全集の編纂や評論も多い。たかしは明治39(1906)年、能役者シテ松本長の長男として東京市神田猿楽町に生まれ、本名は孝。祖父曽祖父は幕府所属宝生流座の能役者で、自身も五歳から能の稽古を始めた。八歳で初舞台を勤め、稽古に励むも十四歳の大正九年、肺尖カタルとなり、静岡県沼津市静浦で療養を始める。父が入会していた「ホトトギス」を読み始め、大正12(1923)年、17歳で高浜虚子に師事した。能役者になる夢は捨てなかったものの、神経衰弱の徴候が現れ、ノイローゼにも悩まされて、同15年、本格的に俳句に取り組み始めた。
胸部疾患、神経症に苦しみながらも、昭和4(1929)年、ホトトギス三月号で巻頭。23歳で最年少同人に推挙され、高田つやと結婚、「鎌倉句会」を起こす。父が脳溢血で死亡した同10年、29歳で虚子の序文を得た第一句集『松本たかし句集』を上梓。虚子の庇護のもと、同13年、第二句集『鷹』、同16年、第三句集『野守』を上梓し、川端茅舎、中村草田男とともにホトトギスの代表作家として活躍した。疎開していた岩手県から戻った昭和21(1946)年、「笛」を創刊。体調に因り作品の良し悪しはあるものの、意欲的に全国を廻り作句に努めた。同二十九年、前年上梓した第四句集『石魂』で第五回読売文学賞を受賞したが、同31年5月11日、杉並の自宅で逝去。享年五十歳の若さだった。
虚子は〈牡丹の一弁落ちぬ俳諧師〉の追悼句を詠んだ。墓は三崎港の本瑞寺にあり、〈宝珠不壊蘇鉄の花の秋に入る〉の句碑がある。能と俳句とは、伝統的なという点では一致する以外は、全く別種の芸術であると述べる。宿痾で能を断念したため、同じく画家を断念した茅舎とは親しく、句兄弟とも言うべきで、草田男は「茅舎の浄土」、「たかしの楽土」と称した。その茅舎からは「生来の芸術上の貴公子」と評された。
「幼少から能楽で鍛えた審美的精神は、『形』の整いに対して誰よりも潔癖で、芸能の名門に生まれた気品、育ちの良さは争えない」(山本健吉)、「たかし俳句が当初から完成度が高かったのも、能の型を体得した美意識が句作に受け継がれたからだ。但し、病による死の影に脅かされつつも『虚無の余裕』というべきユーモアの作品も多い」(饗庭孝男)、「たかしは、自然詠、羈旅諷詠、日常吟いずれも一詠一詠の奥にひそむ芸そのものを光りあらしめるべき真剣勝負で励んだ」(上村占魚)、「能の代りに俳句を志した心中には、自ら目指した美意識を追い求めた求道者としての姿がある」(中岡毅雄)、「その生涯には能役者を捨てねばならなかった負い目が重くあった」(橋本石火)、「いつも聡明に何も彼も意識しているようで、ぎりぎりのところで意識を外れているところが、たかしの恐ろしさである」(青木亮人)、「たかしにとって、俳句は刹那の記憶を留めておく器ではなかったか。俳句の中におさめることで、いつでも新しく甦らせることができる」(高柳克弘)等々の評がある。
句集には、『松本たかし句集』『鷹』『野守』『石魂』『火明』のほか、伝記小説『初神鳴』、随筆・評論『鉄輪』『俳能談』など多数がある。
仕る手に笛もなし古雛
流れつつ色を変へけり石鹸玉
羅をゆるやかに著て崩れざる
金魚大鱗夕焼の空の如きあり
芥子咲けばまぬがれがたく病みにけり
十棹とはあらぬ渡しや水の秋
玉の如き小春日和を授かりし
とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな
水仙や古鏡の如く花をかゝぐ
枯菊と言捨てんには情あり
日の障子太鼓の如し福寿草
チチポポと鼓打たうよ花月夜
暮れてゐるおのれ一人か破蓮
夢に舞ふ能美しや冬籠
箱庭とまことの庭と暮れゆきぬ
蟹二つ食うて茅舎を哭しけり(茅舎訃音到る)
雪だるま星のおしやべりぺちやくちやと
海中に都ありとぞ鯖火燃ゆ
眠りゐし檜山は餘木あらしめず(木曾赤沢)
避けがたき寒さに坐りつづけをり(生涯最後の句)
たかしに代わり能を継いだ弟の松本惠雄は、人間国宝となった。能を諦めた後は、鼓を愛したたかしだが、俳句を「経験―把握―表現」の瞬時の文芸と認識したのは、鼓のポンという短い音響の中で完結するとの思いを強くしていたのだろう。茅舎とともに、現代俳句で最も比喩を多用し、優れた比喩を駆使したふたりが、同じ様な境遇から俳句に取り組んだのも何かの縁かも知れない。
(「青垣」38号加筆再編成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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