【第33回】
葛城山と阿波野青畝
広渡敬雄(「沖」「塔の会」)
奈良県と大阪府の境の葛城山(959メートル)は、かつては修験道の霊場であった。北に悲運の大津皇子の墓がある二上山、南に楠木正成ゆかりの金剛山の両峰を繋ぐ縦走路・ダイヤモンドトレールとして関西のハイカーに親しまれ、五月には一目百万本のつつじ、秋には芒の群生で名高い。
頂上の展望は雄大で西に大阪湾、六甲山地、東に大和盆地が広がり大和三山が目立つ。西麓には西行ゆかりの弘川寺、東麓一帯は古代の有力豪族葛城氏、鴨氏の本拠地で、山中には名刹不動寺、麓には一言主神社があり、高取町には日本三大山城の高取城址や眼病封じの壺阪寺がある。
葛城の山懐に寝釈迦かな 阿波野青畝
猶見たし花に明行神の顔(一言主神社) 松尾芭蕉
葛城の神の鏡の春田かな 松本たかし
八方へ葛城山の芒みち 小島 健
種蒔いて葛城山の近づける 矢野景一
二上山峰をわかちて幟立つ 水原秋櫻子
芋の露あをき金剛山ちかぢかと 岩井英雅
〈寝釈迦〉の句は、昭和三年作、第一句集『萬両』に収録。「葛城はわが俳枕、朝夕お山を眺めたら丁度山の懐あたりにお釈迦さんが抱かれるように横たわっているお姿が見えた」と顧み、青畝代表句と喧伝され結社名ともなった。「叙情性が最もよく表現された一句」(山本健吉)、「俳句表現の見事さをこれほど円満に具えた句はない」(石田波郷)、「素晴らしい省略法により、いきなり釈迦が山懐に寝ていると叙して幻想性豊か」(村松友次)、「山懐に在す寝釈迦という存在感を深めているのが「に」の助詞。「の」なら寝釈迦の特定がなされるばかりで存続性がなくなる」(西村和子)等の鑑賞がある。葛城山の全容を一望出来る高取中央公園に句碑があり自身の原風景を具現化したものだろう。
阿波野青畝は、明治32(1899)年奈良県高取町生まれ、本名橋本敏雄。六歳頃より難聴となるも往復18キロを通学した畝傍中学時代に俳句を始め、18歳の時大和郡山で虚子に対面、二年後の虚子の激励書簡「大成する上に暫く手段として写生錬磨をすべし」を、終生の指針として以来師事。進学を諦め、地元八木銀行に勤務しつつ、「倦鳥」「鹿火屋」「山茶花」にも所属、大正12(1923)年、24歳で大阪市京町堀上通の商家阿波野家の貞と結婚し改姓する。「ホトトギス」巻頭を重ね、その課題句選者を経て昭和4(1929)年30歳で「かつらぎ」創刊主宰。秋櫻子、誓子、素十と並んで4Sと称され、同6年、虚子の序文の第一句集『萬両』を上梓し、後に「現代俳句の古典」と絶賛された。二年後に妻貞が逝去、分家の阿波野秀と再婚す。
同17年には第二句集『國原』を上梓、戦時統制で他誌と合併「朱鳥」となる(同22年復刊)。同20年には空襲で本宅焼失、妻秀も逝去し、同22(1947)年、48歳でカトリックに洗礼、「俳句の道は何れ神を知ることの出来る道」と悟る。「客観・主観は手の甲と手の平の関係」(客観・主観の区別なし)、「言葉」と「省略」を作句の旨とし、森田峠、加藤三七子、小路紫峡、小路智壽子、堀磯路等を育てた。同48年、「読売俳壇」選者、『甲子園』で蛇笏賞受賞。長らく俳人協会関西支部長、大阪俳人クラブ会長として、関西俳壇で重きをなし、平成元(1989)年森田峠に主宰を譲った後の同四年『西湖』で日本詩歌文学館賞受賞。同12月に93歳で逝去。
墓は西宮・満池谷のカトリック墓地と故郷高取町長圓寺にある。句集は他に『春の鳶』『紅葉の賀』『あなたこなた』『西湖』等、遺句集『宇宙』計11句集、俳文集『自然譜』『俳句のこころ』等、書画集『わたしの俳画集」がある。
「生来の抒情に練磨の写生力を加えた独歩の句風(虚子)、「四Sでは句風的に一番軽く、物足りなさを感じるが、自由さと愛情とユーモアを湛えた生活感情の陰翳の深さに於いては第一等」(山本健吉)。「「四S」の中で本当に新しいのは青畝じゃないのか」(高柳重信)、「近代俳人のなかで最も俳句の定型と言葉の問題を突き詰めた作家である」(宗田安正)、「カトリックに入信してからは、美醜両面を認めて詠い上げるようになった」(大岡信)、「第一句集には人口に膾炙する名句が多く、只事でなく天才と言えよう」(伊藤伊那男)、「キリスト教と日本文化との渾融が青畝俳句の特色である」(角谷昌子)、「比類なき音楽性をもつ独自の文体、言語音楽の魔術師」(恩田侑布子)等の評がある。
虫の灯に読み昂りぬ耳しひ児(生家に句碑)
けふの月長いすすきを活けにけり
案山子翁あち見こち見や芋嵐
さみだれのあまだればかり浮御堂
蟻地獄みな生きてゐる伽藍かな
いりあひの千鳥なるべき光かな
目つむれば蔵王権現後の月
水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首
端居して濁世なかなかおもしろや
ルノアルの女に毛糸編ませたし
月の山大国主命かな(三輪山)
牡丹百二百三百門一つ
紅葉の賀わたしら火鉢あつても無くても(虚子文化勲章)
山又山山桜又山桜
一軒家より色が出て春着の子
登山道なかなか高くなつて来ず
土不踏なければ雛倒れけり
威銃大津皇子は天に在り
十字架を象嵌したる天高し(トラピスト修道院)
白酒をのの字にのの字重ね注ぐ
狐火を詠む卒翁でございかな
蝶多しベルリンの壁無きゆゑか
ペストロイカペストロイカ虫滋し(ゴルバショフノーベル賞)
耳疾のコンプレックス、二度も妻女、又長女を亡くし、西宮の新居を漏電で更に大阪京町堀の本宅も空襲で焼失。度重なる苦難も乗り越えて俳句に打ち込み、「長生きは得でっせ」と艶冶の滲む晩年を迎えた。心身ともタフで自在、ユーモアを絶やさぬ天才資質の不出世の俳人である。
(「青垣」17号加筆再編成)
【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。
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