ラベンダー添へたる妻の置手紙
内堀いっぽ
妻のことがわからない。
何を考えているのか、
どんな風に感じているのか。
満ち足りているのか、
何かが足りないと思っているのか。
いまは幸せなのか、
僕のことを、どう思っているのか。
開店前の本棚のほこりを拭きながら
僕はそんなことを考えていた。
知り合ったのは友人の紹介だ。
仕事が忙しく人と出会う機会もあまりない、
とぼやいていた僕の前に彼女が現れた。
そのとき僕は自分の好きなものの話を
ずっとしていた気がする。
いつかは今の会社をやめて、
古本も販売できるカフェを開きたい、
という誰にも言わなかった夢なども。
ふだんあまり自分のことを喋らない僕が、
そんなことまで話してしまったのは、
彼女の魔法のような頷き方のためだと思う。
その後もなんどか会う機会を重ね、
彼女はいつも聞き役にまわり、
ほとんど僕がいつも話していた。
誰かにむかって自分のことを話すことが、
これほどまでに心地よいことを
僕はそれまで知らなかった。
彼女と結婚することに、
僕はためらいを感じることはなかった。
彼女の希望で、新婚旅行は
北海道の富良野に出かけた。
一面のラベンダーと青い空、
それ以外に何もない風景。
ずいぶん長い間、
僕たちはそこにいたのだと思う。
夕空が薄いピンク色から
ラベンダーのような紫色に変わるまで、
僕たち二人はそこに立っていた。
まもなく僕は
自分の古本カフェを開くことになった。
開店のための準備はめまぐるしく、
さまざまな手配に忙殺された。
次第に二人で会話する時間は
少なくなっていった。
ある意味夢を叶えた僕の話は、
現実的な目の前の問題に変わっていった。
古本カフェは思いのほか好評で、
雑誌などにも取り上げられ、
忙しい日々が続いていた。
それでも表面的に二人の日々は
あまり変わらなかったと思う。
ある日、家に帰ると
妻がいなかったことがある。
何時間経っても帰ってこないので、
何度もメッセージを送り、電話をかけた。
何も言わずに出かけて、
連絡もとれないなんて。
しかし、苛立ちは
次第に不安に変わっていった。
何か事件にまきこまれたのかもしれない。
知らないうちに、妻が傷つく一言を
発していたのかも知れない。
あるいは…
とにかく無事に帰ってきてほしい。
祈りのような気持ちだけが最後に残った。
妻は深夜に帰ってきた。
どこにいってたの?という質問の前に、
「眠いから寝るね」と言って
妻は寝室に入ってしまった。
それから変わらない日常が戻ってきた。
あのとき妻はどこにいって、
何をしていたのか、触れることはなく、
僕もまた聞かないままでいた。
とにかくあのときの
無事でいてくれればいいという、
祈りのような気持ちを忘れなければいい。
僕はそれだけを思っていた。
妻はどことなく明るさを取り戻していった。
おだやかな日々が続いていた。
そんなある日。
僕は忘れ物をして古本カフェを一時閉じ
家に帰ってきた。
開けっぱなしの窓から風が吹き込み、
白いカーテンをなびかせていた。
明るい光に溢れた部屋の
テーブルの上に、それはあった。
ラベンダー添へたる妻の置手紙
内堀いっぽ
※気になる一句から膨らむストーリーを書いていきます。作者の人生、作句の背景とは、全く関係がありません。その点ご理解、ご容赦いただけると幸いです。
(小助川駒介)
【執筆者プロフィール】
小助川駒介(こすけがわ・こますけ)
『玉藻』同人。第三回星野立子賞受賞。
星野椿先生主催の超結社句会「二階堂句会」の司会進行係。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】