紀元前二〇二年の虞美人草
水津達大
最近ぐんぐん暖かくなって、近所の雑草がいい感じに繁っている。街路樹の根元とか、中央分離帯とか、草の生えているところはどこも賑やかだ。
フランスを代表する花は青い矢車菊、白いマーガレット、そして赤いひなげしで、いずれも野の花。これが国旗のトリコロールに対応している。開花時期はそれぞれちがうけれど、ちょうどいまの季節、この三つが重なって咲く。
紀元前二〇二年の虞美人草 水津達大
〈紀元前2世紀ごろの咳もする/木村半文銭〉に似ていることから、思わず立ち止まってしまった句。二〇二年ってなんの年だっけと調べてみると、垓下の戦いだった。四面楚歌の状況下、項羽が愛人虞姫の行く末を案じ「虞や虞や汝をいかんせん」と詠ったあの戦いだ。ひなげしを中国で虞美人草というのは、花の色を虞姫の血の色になぞらえてのことらしい。
虞美人草を見つめつつ、そこに遥かなる惨劇を重ねた掲句は変な力を加えずして「紀元前二〇二年の」が定型にすっぽり嵌っているところがいい。多くを語らずして、人をはっとさせる効果がある。このほかにも水津氏には〈葉桜に記憶の花をあてはめる〉〈牡丹二輪未完や華岳絶命す〉といった、過去と現在という2点間の冥合を以って妙の域へたどりつこうとしているらしい句があって、ああ、過去と現在という2点間の冥合を以って妙の域へたどりつくといえば、与謝野晶子が夫・鉄幹の後を追いかけて行ったフランスで、汽車の窓から見た景色だという、
ああ皐月仏蘭西の野は火の色す君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟 与謝野晶子
というものすごく音楽性の高い歌があったなあとも思う。これは愛と情熱を賛美的に描くのみならず、項羽と虞姫に自分たちを重ねていたのではないかとわたしは想像するのだけれど、どうなんでしょう、これって普通に言われていることなのかしら? 言われてたらすみません(って別に謝ることでもないですね)。
ひなげしを死者の記憶と紐づけるのには、戦没者を悼むメンバランス・ポピーをはじめ、他にも多くの例がありそうだ。わたしが好きなのは第一次世界大戦のフランドルをうたったカナダの詩人John McCrae のIn Flanders Fields。大西巨人『神聖喜劇』を読んでいて知った。こんな詩です。
フランダースの野に
ジョン・マクレー(小沼通二訳)
フランダースの野にポピーが揺らぐ
十字架の間に、何列も何列も、
ここがぼくたちの場所 空には
今でも元気な声で飛ぶひばり
かすかに聞こえる地上の砲声の中で
ぼくたちは死んだ 数日前には
生きていて、夜明けを感じ、輝く夕焼けを見た
愛して、愛された、それなのに今では
フランダースの野に横たわる
敵との争いを終わりにしよう:
弱ってきた手でぼくたちはトーチを投げる
受け止めて高くかかげてくれないか
死んだぼくたちとの約束を守れないなら
ぼくたちは眠れない、ポピーの花が
フランダースの野に咲き誇っても
In Flanders Fields John McCrae
In Flanders fields the poppies grow
Between the crosses row on row,
That mark our place; and in the sky
The larks, still bravely singing, fly
Scarce heard amid the guns below.
We are the Dead. Short days ago
We lived, felt dawn, saw sunset glow,
Loved and were loved and now we lie
In Flanders fields.
Take up our quarrel with the foe:
To you from failing hands we throw
The torch; be yours to hold it high.
If ye break faith with us who die
We shall not sleep, though poppies grow
In Flanders fields.
(小津夜景)
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【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】