麦真青電柱脚を失へる 土岐錬太郎【季語=青麦(夏)】


麦真青電柱脚を失へる

土岐錬太郎


当地の麦刈りは7月下旬から8月上旬。もう少し色づいてきているようで、「麦真青」の時期は少し過ぎてしまった。

麦畑いちめんに育つ麦。青田の風景も良いものだが、麦の端正な青が風に揺れるさまは、北海道の夏の爽やかさによく似合う。

掲句が作られたのは昭和26年、電柱は木製だろう。麦畑を横切るように一列に並ぶ電柱。その電柱が脚を失ったという。麦畑のみずみずしい生命力と、もとは木であった電柱が、コールタールで黒く染められてただ地面に打ち込まれている、その無機質を対照的に描く。

あるいは、宮澤賢治の「月夜のでんしんばしら」が念頭にあったのか。電柱の隊列が真夜中に軍歌を歌いながら行進するという童話の景と、現実の農村ののどかとも言える風景の対比である。「月夜のでんしんばしら」は童話ではあるが、かなり怖い話に仕立てられている。作者には軍隊経験があるのだから、その恐怖は現代の私たちが想像するよりも、そうとうリアルに感じられたのかもしれない。

土岐錬太郎は戦前は日野草城に師事し、復員後、故郷の北海道新十津川町で俳誌「アカシヤ」を創刊主宰した。創刊当初は、草城の主宰誌「まるめら」が戦災で発刊できなかったため、草城や桂信子、楠本健吉らも参加して充実した誌面を展開していたという。

「冬木の唄」(1958年)所収。

鈴木牛後


【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)『暖色』(マルコボ.コム、2014年)『にれかめる』(角川書店、2019年)


【鈴木牛後のバックナンバー】
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>>〔40〕乾草は愚かに揺るる恋か狐か     中村苑子
>>〔39〕刈草高く積み軍艦が見えなくなる  鴻巣又四郎
>>〔38〕青嵐神木もまた育ちゆく      遠藤由樹子
>>〔37〕夫いつか踊子草に跪く       都築まとむ
>>〔36〕でで虫の繰り出す肉に遅れをとる   飯島晴子
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>>〔26〕雪解川暮らしの裏を流れけり     太田土男
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>>〔12〕懐手蹼ありといつてみよ       石原吉郎
>>〔11〕白息の駿馬かくれもなき曠野     飯田龍太
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>>〔9〕印刷工枯野に風を増刷す        能城檀 
>>〔8〕馬孕む冬からまつの息赤く      粥川青猿
>>〔7〕馬小屋に馬の表札神無月       宮本郁江
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>>〔2〕糸電話古人の秋につながりぬ     攝津幸彦
>>〔1〕立ち枯れてあれはひまはりの魂魄   照屋眞理子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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