桜蘂ふる一生が見えてきて
岡本 眸
窓から見える景色が、ところどころ紅(くれない)がかって来た。
もう、桜蘂降る頃か。。。
東京の桜は、ほんの数日の間に盛りを過ぎて、今ははらはらと紅の蘂を降らせている。
この頃になると、いつもこの句を思い出す。
「一生が見えてきて」とはどういう情景だろう。
作者がいつの歳に詠まれたのかは知らないのだが、若い頃の私は、恐らく齢を重ねた人、つまり晩年に近い年齢の感慨なのだと思っていた。
一生が見えてくるなんて、簡単には言えないように思えたからだ。
でも今は、また違った風景が見える。かつて思っていたよりも、これは意外に若い時の感慨なのではないだろうか、と。
例えば、三十代頃。その頃の自分の気持ちと、この句は不思議と重なる。
桜の木の一生を人生と重ね合わせても、桜蘂の降る頃は晩年ではない。
満開の花の頃を過ぎて、あまり美しいとは言えない桜蘂の頃の翳り。
葉桜となればまた新たな命が動き出すかのようにまぶしい季節が訪れる。その束の間の季節の憂いが、あの一語を引き出したのではないか。
夢見る季節は過ぎてしまった。
一生が見えないということは不安だが、見えてしまうということはもっと淋しい。
(日下野由季)
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【執筆者プロフィール】
日下野由季(ひがの・ゆき)
1977年東京生まれ。「海」編集長。第17回山本健吉評論賞、第42回俳人協会新人賞(第二句集『馥郁』)受賞。著書に句集『祈りの天』、『4週間でつくるはじめてのやさしい俳句練習帖』(監修)、『春夏秋冬を楽しむ俳句歳時記』(監修)。
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