これ以上愛せぬ水を打つてをり 日下野由季【季語=水を打つ(夏)】


これ以上愛せぬ水を打つてをり

日下野由季
『馥郁』

昔から八月は、水不足が懸念される。企業や施設等では、水量制限がなされ、スーパーでは飲料水の買いだめによる品薄が相次ぐ。今年は連日の豪雨によりその心配はなさそうだが、水の確保は重要である。

私は、水の豊かな土地で育ったため、水を買うという考え方が理解できなかった。海外に行った時もペットボトルで売られている水を不思議な気持ちで眺めた。東京で暮らし始めて水の大切さを知った。水は有料である。それでも日本は水に恵まれている。水道の水も飲めるし、スーパーでは様々な味の水が売られている。水の旨さを売りとした酒や豆腐のような名産品も多い。

海外からの留学生が、夏場の「打水」を非難していたことがあった。「日本は水が豊かだから、使い古しの水ではなく新しい水で玄関どころか家の前の道まで洗う。道を洗ってもすぐに汚れてしまうのに。無駄遣いばかりする国だ」と。地面を冷やすために行う打水を洗っていると捉えたことに少し驚いた。言われてみれば打水は、もともと地を清めるために行われていたので、それも本意ではある。商店街では、打水をしながら客寄せをするので、その文化を無駄遣いと言われると反論したくもなる。留学生と水論議をしたものの食い違うばかりであった。

確かに、旱魃と飢饉の歴史や戦時中の渇きを思えば、現代の日本は水を無駄遣いし過ぎている。工業の発達や都市化の影響による水質汚染も深刻だ。「瑞穂の国」と呼ばれた水の美しい日本は、遥か遥か遠い昔の話なのである。

これ以上愛せぬ水を打つてをり
日下野由季

作者は、1977年生まれ。大学では古典文学を専攻。在学中より、高橋悦男主宰の「海」に入会。早稲田大学俳句研究会で活躍した。2007年、第一句集『祈りの天』を刊行。2015年、山本健吉評論賞受賞。2018年、第二句集『馥郁』にて俳人協会新人賞受賞。現在「海」編集長。〈はくれんの祈りの天にとどきけり 由季〉〈一対の冬木しづかに触れ合ひぬ 由季〉など、透明感のある句を詠む。〈まだ見つめられたくて鴨残りけり 由季〉〈鳶の輪のゆるむことなき初御空 由季〉には、確かな存在感と強さが感じられる。

掲句は、海外に行くことの多い作者が水の大切さを知ったことによるものであろう。これ以上愛せないほど大切な水を打ち、涼を分かち合おうとする日本文化の美しさを詠んだのだ。その背景には、愛するものを愛するが故に手放す気持ちが垣間見える。自身が編集長を務める結社誌を発送する時や句会で指導している生徒を他結社の句会に送り出す時など。手許に置いておきたいと思いつつも、勢いよく手放さなければならない時がある。句集を出版する際も、これでいいのかと悩みつつ、これ以上愛せないほど良い作品になったから世に放つのだ。とあるケーキ職人は、他人に食べさせるのが勿体無いぐらい美味しく美しく出来上がったケーキのみを売り出すという。

恋の句としても解釈が可能だ。これ以上愛せないほど大切に思う水を放つように、愛する人を手放そうという解釈がある一方で、愛想が尽きた恋に水を打ったという解釈もある。後者の場合は、〈これ以上愛せぬ〉で一回切れて、水を打つ所作に場面転換する構造となる。愛し過ぎて尽くし過ぎて疲れてしまい、水を打つように別れを決意したという物語が浮かぶ。別れを決意する時というのは、もうこれ以上愛せないと思うまで愛した時である。特に女性は、嫌いになるぎりぎりまで溜め込んで頑張ってしまう。一度、別れを決意すると梃子でも動かない。未練も残さない。「覆水盆に返らず」ではないが、解き放った水には興味がなくなる。どちらかというと、もう愛せないから水を打つように手放そうという解釈の方が共感してしまう。それは、私がそんな恋ばかりしてきたせいである。

追いかけるのが好きな私は自分勝手な男性と交際しては傷ついていた。ある時、とても優しい年上の男性と付き合うことになった。毎日電話をくれて、週末は映画を観たり、美術館に行ったり。時には、料理も作ってくれた。でも、趣味が合わなかった。文学も音楽も食べ物も。私が「ワインが飲みたい」というと「君は子供だから日本酒の旨さを知らないんだ」と言って日本酒を強要させられたり、庭園に行っても「庭園は見るものであって歩くものではない」という理由から茶屋で哲学の話を延々と聞かされたり。私の趣味を否定して、自分の趣味を押し付け、さらには「教えてあげた、買ってあげた」という態度であった。私も一生懸命、彼の与えてくれたものを理解し吸収した。価値観の合わない楽しさもあった。箱根の商店街を歩いている時に蕎麦屋の女将さんが打水をしていた。灼けた石畳に放たれた水が蒸気となって香ばしい匂いがした。すると彼は女将さんに「打水は風情があって良いけど、靴が濡れるから僕は嫌なんだよ」と言った。お洒落を気にする彼らしい物言いに大笑いした。「何が面白いんだ。でも君を笑わせられたのだから僕は今、良いことを言ったのだな」と彼も笑った。交際し始めた頃のことである。やがて彼と行く旅行も彼の話も苦痛なほど退屈になっていった。もう一秒でも一緒に居たくなくて別れを告げた。「こんなに尽くしてやったのに何なんだ。一生後悔するぞ」と言われたが、後悔したことは一度もない。水を放った後のような涼しさだけが残った。ただ、彼が教えてくれた知識や背伸びをして共有した趣味は、今の生活に非常に役立っている。打水で放たれた水は私だったのか彼だったのか。別れたことで自由になり、互いの恋が循環してゆく。打水が蒸気となったり、地に吸い込まれたりして、この世を潤し、再び新しい水となるように。

篠崎央子


篠崎央子さんの句集『火の貌』はこちら↓】


【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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