むかし吾を縛りし男の子凌霄花
中村苑子
(『花隠れ』)
小学校高学年の頃、「警察と泥棒」という遊びが流行った。地域限定のゲームであったのかもしれないが、アニメ「ルパン三世」や「キャッツアイ」の影響もあったように思う。まず、警察チームと泥棒チームに分かれ、警察チームは切株の上に置かれたカラーボールを守備する。泥棒チームは、警察チームのメンバーにタッチされると捕縛されるというルールを利用し、囮役が警察を挑発し、隙を狙ってカラーボールを奪う。泥棒は、追われながらカラーボールが取り返されないように仲間にパスをしながら逃げてゆく。カラーボールを持っている泥棒が警察にタッチされるか、パスを外したカラーボールが取り返されるとゲームオーバーになる。カラーボールを持たない泥棒は、警察にタッチされると木の下にある刑務所にて縄飛び紐に縛られてゲームの行く末を眺める。最後には、一人となった泥棒が逃げ惑い、警察チームに包囲されてゆく。泥棒チームは、最終的には負けるのだが、足の速い子が泥棒チームにいるとゲームはなかなか終わらない。一方で捕縛された泥棒は、仲間からタッチされると脱走することもできるので、木の下には捕まった泥棒を縄飛び紐で縛ったり、脱走されないよう監視したりする警察が立つ。
私の通っていた小学校は1学年20人ほどのクラスだったこともあり、仲が良かった。男女とも日が暮れるまで野原を駆け回った。あるとき、泥棒チームになった私は、警察チームの男の子に捕まり、木の下で縄飛び紐に縛られた。紐で縛られるとき、男の子の息が間近となりドキリとした。それまでは、私が警察チームで男の子を縛ることもあった。きつく縛り「痛いよ」なんて言われて「ざまーみろ」なんて軽口を叩いていたような仲である。ところがその日は、少し違った。ドキリとした私の表情を読み取った男の子は、「痛くないかい」なんて優しい言葉をかけてきたのである。チームワークを駆使して逃げる泥棒と警察の追いかけっこを、少し離れた木の下で二人眺めていた。私は正座して縛られていていたが、男の子は、ときおり身をかがめて話しかけてきた。そのたびに顔が近付いてきてドキドキした。密かにこのまま誰も捕まらずに二人だけでいたいと思った。男の子もそう思ったのかどうか、泥棒を捕まえてきた警察の「監視役を代わる」との申し出を断っていた。さらには、捕まった女泥棒が私達二人の雰囲気を察してか「警察と泥棒の恋なんてキャッツアイみたい。邪魔してごめんね」などと気の利いたことを言う。その後は、お互いに照れてしまい何も話さなかった。
今にして思えば、小学校の頃のたわいもないゲームの一場面である。でも、あの日より私は、男の子に恋をしたのだ。男の子は、中学生の時に転校してしまい、その後は音信不通。同窓会にも来ない。「もう一度縛って」と言う機会はなかった。
むかし吾を縛りし男の子凌霄花 中村苑子
中村苑子は、大正2年、静岡県伊豆市生まれ。30歳前後より俳句に親しむ。「鶴」「馬酔木」に投句し、昭和24年、36歳の頃「春燈」に入会し、久保田万太郎に師事。現代俳句協会賞、現代俳句女流賞、詩歌文学館賞、蛇笏賞などを受賞し高い評価を得ることとなる。
「春燈」同人であった昭和33年、45歳の頃に高柳重信の「俳句評論」創刊に参加。離婚後は、高柳重信と生活を共にするが、籍を入れることはなかった。
〈翁かの桃の遊びをせむと言ふ 苑子〉〈わが墓を止り木とせよ春の鳥 苑子〉のような夢幻的な句風が魅力の作家である。〈貌が棲む芒の中の捨て鏡 苑子〉〈身のなかに種ある憂さや鶏頭花 苑子〉なども女流俳人だからこそ詠めた境地であろう。遺句集となる『花隠れ』は、「男に葉隠れの志があるなら、女に花隠れの意想があってもよいだろう…」との思いで、名付けられた。
戦後の前衛俳句の中核的存在であった高柳重信と共に、総合誌「俳句評論」を発行しつづけた苑子。重信の死後、平成3年に出版された『高柳重信の世界』は、俳句作品200句の抄出、評伝等により構成され、中村苑子編著である。婚姻関係にない内縁ではあったが、重信は、苑子にとって、同志でもあり、憧れる男性でもあったのだろう。
重信は、幼き頃、吾を縛った男の子のような存在なのかもしれない。お互いの魅力を認めつつも素直になれず、憎まれ口を叩いていた男の子。縛られたことにより、お互いの性が目覚めた。だが、幼き日の恋は成就することはない。消すことの出来ない初恋の感情が、女盛りを過ぎた頃に復活したのだ。重信が苑子に求め続けた俳句への革新的詩情は、身を縛りつけられるような重荷でありながらも、心地良い刺激となったのだ。 きっと苑子は思っていた。もう逢うことのない男の子が、気が付けば重信となり、死した後も自分を縛りつけている。凌霄花は、蔦性植物で絡み合った蔦の合間に吐息のような紅を零す。縛られることの快楽を知ってしまったあの日の恋が今も続いている。
(篠崎央子)
【中村苑子編著『高柳重信の世界 』はこちら ↓】
【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。
2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓
【篠崎央子のバックナンバー】
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