黒き魚ひそみをりとふこの井戸のつめたき水を夏は汲むかも 高野公彦


黒き魚ひそみをりとふこの井戸のつめたき水を夏は汲むかも

高野公彦


井戸水の冷たさから、人づてに聞いたのであろう「黒き魚」の質感を肉付けしていくのではなく、先に「黒き魚」を出しておいて、水の冷たさなどの形容から井戸の仄冥さを描き、その仄冥さの中にぼんやりと「黒き魚」の存在を漂わせる作りをとったことに手腕を感じる。真鍋美恵子の「古き井戸に一匹の鯉棲むと言へど見しことはなしその酷き緋を」は、伝聞から入って心象に終始するが、「酷き緋」くらいまでボルテージを上げたことで強烈な手応えが歌に表れた。

真鍋の歌には、たとえば「沼の面を音なく蛇がよぎりゆくひとすぢの炎ゆる金色(きん)とはなりて」(青畝の「水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首」を彷彿とする)などを端読みし、その絢爛さに兼ねてより惹かれているのだが、『真鍋美恵子全歌集』(沖積舎・1983年)がなかなか手に入らない。歌集や句集の出版状況、加えて刊行からだいぶ経った歌集や句集を手に入れたいと思う読者の置かれた状況に絶望するかぎりである。

昨年、『汽水の光』の読書会を行ったが、こちらは現代短歌社から文庫化されていたお陰で手に入りやすかった。まことに助かった。また、その後にまとまて読みたくなって『高野公彦作品集』(本阿弥書店・1994年)を買い求めたが、これもなんとか手には入った。

思えば、初学の頃、邑書林のセレクション俳人のシリーズは本当に助かった。今や『岸本尚毅集』や『小澤實集』、『田中裕明集』がえらい値段で古書に回っているらしいが、もう少し手軽に手に入らないものだろうか。

以下、『汽水の光』から惹かれた句をいくらか引用したい。時折、とても俳句的だなと思うことのある歌集だった。

少年のわが身熱をかなしむにあんずの花は夜も咲きをり
手花火が少女の白き脛てらすかなしき夏をわれ瘦せにけり

はりがねを腰に光らせ犬捕りは磧に憩ふときも黙せり
日だまりの老に近づきその白髪吹きはじめたる風ありにけり
こがねむし手にあそばせて母のくに四国を出づる夜の船にをり
性愛図見て幾夜さの夢にたつ土用荒波ひまはりの首
一人の死ありてこの夏越えくればわが腕時計しほを噴きゐつ
湯屋いでし少年のほそきうつしみは夜の白き靄ひらきつつ来る
あきかぜの中のきりんを見て立てばああ我といふ暗きかたまり
象を見て仏陀思へりはるばると未来へ流れゆく時間(とき)の束
粘りある炎とおもふ鶏居らぬ小屋をほどきて日暮に燃せば
みどりごは泣きつつ目ざむひえびえと北半球にあさがほひらき
守り来しわが沈黙の深みにてずぶぬれの鳥のごとき言葉ら
バリケード燃ゆるを見つつ帰り来し夜の卓上 枇杷に毛がある
ことば、野にほろびてしづかなる秋を藁うつくしく陽に乾きたり

安里琉太


【執筆者プロフィール】
安里琉太(あさと・りゅうた)
1994年沖縄県生まれ。「銀化」「群青」「」同人。句集に『式日』(左右社・2020年)。 同書により、第44回俳人協会新人賞


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



安里琉太のバックナンバー】

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>>〔1〕松風や俎に置く落霜紅      森澄雄


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