マンホール出て蝙蝠となる男 小浜杜子男【季語=蝙蝠(夏)】


マンホール出て蝙蝠となる男

小浜杜子男

月の光が差し込む部屋で、
高森老人は私の真向かいに座っていた。
銀色の髪は、きれいになでつけられている
90歳とは思えないほど姿勢はまっすぐで、
上質な黒いスーツに黒いネクタイ、
そしてサングラスをかけている。

「高森一族は、もう私一人きりです」

彼は奇妙な声で話していた。
高くもなく、低くもなく、
大きいとも小さいとも言えない。
だが何がもっとも不思議かといえば、
彼は口を動かさずに話していたのだ。
だが、私にはその理由がわかる。
彼は、超音波で話しかけているのだ。

私はフリーランスのジャーナリストで、
とある噂を何年もの間追いかけていた。
ついにインタビューにこぎつけたのが、
この高森老人だった。

「あなたが追いかけていたという噂は、本当です。
人間として暮らしている蝙蝠がこの日本に存在するという噂。
そしてこの私が、最後の蝙蝠人間というわけです。」

サングラスの奥の表情はまるで読み取れなかった。

「しかしそれは何も特別なことではありません。
あなたが日本人に生まれたように、
たまたま私が蝙蝠人間に生まれたという、
ただそれだけのことです。」

言われてみれば確かにそうかもしれない。
蝙蝠人間に生まれたのなら、
それはきっと受け入れることしかできないのだろう。

「わたしたち蝙蝠人間は、何千年もの間、
人目につかないように生きてきました。
たまたまふつうの人間に出会うことがあると、
彼らは無闇に怯えて、私たちを殺そうとします。
私たちは、なるべくふつうの人間と変わらないように
見せてきたのです。」

今はどこに住んでおられるのですか?と私は尋ねた。
愚問だが、どうしても聞きたくなったのだ。

「地下ですよ。この東京の下には、
私が住むのにぴったりな 地下の空間がいくらでもある。
いわばこの都市の地下全体が私の家というわけです。」
高森老人はにやりと笑った(かのように見えた)。

「ところで私ももう長くは生きられない。
不思議なものでこの年になると、私で蝙蝠人間が
終わってしまうのが、なんとも惜しくなってきました。
あなたに会うのを引き受けたのは他でもない。
蝙蝠人間をあなたに継いでもらいたいからだ。」

あまりにも突飛な申し出を私が断ろうとすると、
老人は続けた。

「幸い、あなたには家族もいない。
友達だって、いませんね。知っています。
あなたはまさに、蝙蝠人間にふさわしい。
なによりあなたに、ふつうの人間でいる理由はありますか?」
私は、答えることができなかった。
ふつうの人間でいる理由…。

老人はサングラスをはずした。
小さくて丸い、黒々とした目が現れた。蝙蝠の目だ。
その目が急に白い光を放ち、私は意識を失った。

目が覚めたのは、巨大な貯水槽のような広い地下の空間だった。
私は起き上がり、壁にかかっていた梯子を登り、
マンホールのふたを押し開けて夜の地上に出た。

頭上には満月が煌々と輝いている。
バサリと音がして背中から黒い大きな羽が生えてきた。
蝙蝠人間になったのだな、と私は思った。
羽をいっぱいに広げると、私は、月をめざして翔び立った。

マンホール出て蝙蝠となる男
小浜杜子男

※気になる一句から膨らむストーリーを書いていきます。作者の人生、作句の背景とは、全く関係がありません。その点ご理解、ご容赦いただけると幸いです。

小助川駒介


【執筆者プロフィール】
小助川駒介(こすけがわ・こますけ)
『玉藻』同人。第三回星野立子賞受賞。
星野椿先生主催の超結社句会「二階堂句会」の司会進行係。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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