夏つばめ気流の冠をください 川田由美子 【季語=夏燕(夏)】


夏つばめ気流の冠をください

川田由美子 

春になると、東南アジアから燕がやって来て、家の軒先などに泥で出来たお椀型の巣を作ったり、電線の上でオスがかまびすしく囀ったりする。この忙しない囀りを「虫食って土食って渋ーい」と聞きなされてもいる。そんな燕たちは愛らしく、見ているこちらも元気になったりする。 

燕は鴉、蛇、猫などの外敵を避けるために、人家の軒先、駅の構内、コンビニエンスストアー、商店、消防署、警察署、市役所などとにかく人が出入りするところに営巣し、また「親指姫」「幸福な王子」「ツバメの大旅行」など昔から物語にも多く登場し、洋食店や在京職業野球チームの名前に使用されるなど、人にとって雀と同じく身近な鳥だ。特に農家にとっては稲作の害虫を食べてくれるので、昔から大切な鳥として扱われて来た。  

ところが近年の傾向として、里山の自然や農耕地の減少、西洋風家屋の増加によって、燕の数が減少しているという統計結果も出ている。春から秋にかけて目を心を、楽しませてくれる燕もやがては絶滅危惧種となり、この世から消えていくのであろう。燕を育んで来た日本もやがては消滅の道を歩むのであろう。 

季語は夏燕。「海程新鋭集 第1集(1997)」に収録。この句はそんな悲観的なことは一切抜きにして、ただただ燕の飛翔を見つめて燕の眼前の姿を生き生きと描いている。 

 燕は地を歩かず、といっても営巣のための土を集める時は歩くのだが、ほとんど常に飛翔していて、飛んでいる昆虫を捕まえたり、水も飛びながら飲んだりする。その速度は一般に時速45キロと言われ、最速でも時速70キロと言われている。その特徴ある飛び方は、巌流佐々木小次郎の「つばめ返し」という剣法に明らかなように、素早くひらりとその身を急旋回させたり、羽ばたきをしないで滑空飛行したりする。元気よく、すいすいと飛んでいる印象がある。 

 気象学的には気流と言った場合、水平方向と垂直方向の空気の流れのことを言い、水平方向の流れは風であり、垂直方向の流れは、台風、低気圧、雷雲などの上昇気流、高気圧、フェーンなどの下降気流があり、天候を支配する重要な要素となる。 

 この句の気流は、そう言った気象学的な意味ではなく、むしろ燕の飛び方そのものを指しているのではないか。一般の気流は、広範囲にわたる不可視の巨大な気体なのだが、この句の気流の場合、縦横無尽に飛翔する燕の描く軌跡といった意味合いのものと捉えられる。 

 川田由美子はかつて俳誌「豆の木」に、電車に乗っている当人が、窓外の景色のあちこちに色々なポーズの当人を置いていくといったエッセイを書いていて、想像力の豊かな人なのであろう。燕の飛翔の軌跡が冠となって見えているのだ。 

夏の燕は子育てに忙しく、つがい共々餌を探して飛び回る。そんな燕たちに呼びかけている句だ。「気流の冠」とはなんと神々しく、清しい言葉だろう。この語でこの句は活きた。そんな冠があったら、是非とも被ってみたくなる。

中嶋憲武


【執筆者プロフィール】
中嶋憲武(なかじま・のりたけ)
昭和35年(1960)東京生まれ。
平成6年(1994)「炎環」入会。作句をはじめる。 平成11年(1999)「炎環」新人賞。
平成12年(2000)「炎環」同人。
平成21年(2009)炎環賞。炎環エッセイ賞。
平成29年(2017)銅版画でANY展(原宿)参加。電子書籍「日曜のサンデー」。
平成30年(2018)攝津幸彦記念賞優秀賞。
平成31年(2019)第0句集「祝日たちのために(港の人)」。 「炎環」「豆の木」「豈」所属。
山岸由佳さんとの共同サイト「とれもろ」toremoro.ne.jp
「週刊俳句」で西原天気さんと「音楽千夜一夜」連載中。

祝日たちのために
中嶋憲武 著
(港の人、2019年)
価格 1650円(税込)
ISBN 978-4896293623

2018年、第4回攝津幸彦記念賞・優秀賞を受賞した気鋭の俳人の、句(120句)+銅版画(13点)+散文(17篇)を収めたユニークな第一句集。句は2018年にツイッターで呟いたツイッター句であり、時代の風景にスリリングに迫っている。

■収録作品より
蟻塚を越え来て淋しい息つく
夏炉あかるく人語に星を数へ得ず
海の鳥居の晩春の石は鳥になる
手が空いてゐる月白の舟を出す
葛湯吹いて馬の体躯の夜がある


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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