蟭螟の羽ばたきに空うごきけり
岡田一実
龍とか、鳳凰とか、麒麟とか、伝統を背負った架空動物を句材にするのって難しくないですか? わたしはたまに迷います。架空の生き物が創造された発端というのが、人間の認識を超えたものを表出することにあったと考えられる以上、屋下に屋を架すがごとくそのイメージを流用するのってどうなんだろう?と思ってしまうんです。
また逆に、伝統的な架空動物なのにイメージがあやふやなものもいますよね。目に見えないことをその特色とした蟭螟(しょうめい)とか。蟭螟は『列子』に登場する「蚊のまつげに巣をつくるという想像上の小虫。転じて、微小なもののたとえ」(出典『日本国語大辞典』)で夏の季語。目に見えないということは、いかようにも詠めるということですが、こういうのはかえってみんな句材にしません。
蟭螟の羽ばたきに空うごきけり 岡田一実
句集『光聴』より。目にみえない蟭螟の存在が、空の動く気配によって察知されています。「空が動く」という把握が非常に武術的で、羽による音波=空気の振動を気で捉えたとみると、認識不可能なものを認識可能にする道筋がすっと通ります。
世界の立ち上がる最初の一撃を描写の体で描きつつも、実際の絵として存在する部分がひとつもなく、架空の存在を、架空のままにうまく据え置いているところに作者の工夫がありますが、わたしの個人的な好みとしては
その暮らしあり蟭螟に箸づかひ 岡田一実
のほうがずっと好き。〈蟭螟や人に生まれてほ句作り/松根東洋城〉のアンサーソングみたいな雰囲気とか、日々この作者は蟭螟といっしょに生きているんだろうなって感じさせるところが、とてもいいです。
(小津夜景)
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【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】