釣銭のかすかな湿り草紅葉 村上瑠璃甫【季語=草紅葉(秋)】


釣銭のかすかな湿り草紅葉

村上瑠璃甫

私の周辺にはまだまだ現金派の人々が健在だが、どちらかといえばキャッシュレスを使う人が主流。

普段キャッシュレスなので、いざという時にちょうど良い額の紙幣や貨幣がお財布に入っていない。今財布に必要なのは一万円札よりも千円札だ。一万円を越える買物はキャッシュレス対応可能な場合が多い。現金でしか支払わせてもらえないお店(飲食店に多い)での支払いは千円札が活躍する。そのため千円札があっという間になくなる。

お店ならお釣りをもらえばすむのだが、割り勘が必要な場では一万円札しかない人ばかりということが珍しくない。小銭となるとさらに難易度が高い。

それならPayPayで送金すれば手数料無料ですむのだが、PayPayで支払うことはできても友人同士の送金・受取には不慣れな人が多くて難儀する。キャッシュレス社会はまだまだ過渡期だ。

釣銭のかすかな湿り草紅葉

手渡しで受け取った釣銭にかすかな湿りを感じた。それは人間だけが持つ湿り。決して洗った手を拭いていないわけでも汗びっしょりというわけでもない。手のひらにある本当にかすかな湿り気だ。

トレーに置かれたり自動販売機で出てきたりしたものは乾いている。いや、小銭は基本的に乾いている。それでも人の手から受けとったものには本当にかすかだが湿りがある。

実感というよりは、研ぎ澄まされた感性ゆえに受け取ることが出来た感覚である。誰もが経験したことあるはずだが誰も気づかなかったこと。

草紅葉は屋外での金銭のやりとりを思わせる。みたらし団子でも買った?かすかな湿りへの気付きは草紅葉の質感が導いたものなのかもしれない。足元の草紅葉に頰がゆるんだことだろう。

一人で暮らしていた頃は、釣銭の時に触れてしまう手が唯一の人間との接触であるという日もあった。コロナ後の今はただでさえそういうことがないよう細心の注意が払われている。キャッシュレスとなるといよいよそんな可能性はない。かすかな湿り、すなわち人間の持つ湿りのやりとりのひとつが消滅しつつある。

実生活において釣銭に本当の湿り気を感じたらあまり良い気持ちはしないかもしれないが、草紅葉に心を託せばそのかすかな湿りが命の息吹との接点のように感じられるから不思議だ。

もう終らないと思った残暑が落ち着き、草木がやっと色づいてきた。

『羽根』(2024年刊)所収。

吉田林檎


【執筆者プロフィール】
吉田林檎(よしだ・りんご)
昭和46年(1971)東京生まれ。平成20年(2008)に西村和子指導の「パラソル句会」に参加して俳句をはじめる。平成22年(2010)「知音」入会。平成25年(2013)「知音」同人、平成27年(2015)第3回星野立子賞新人賞受賞、平成28年(2016)第5回青炎賞(「知音」新人賞)を受賞。俳人協会会員。句集に『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)


【吉田林檎さんの句集『スカラ座』(ふらんす堂、2019年)はこちら ↓】



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