俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第43回】 淋代海岸と山口青邨


【第43回】
淋代海岸と山口青邨

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


淋代(さびしろ)海岸は、青森県八戸市の北方の六ヶ所村から三沢市に至る国道338号に面した約20キロの松林が続く、直線状の砂浜海岸の淋代集落付近の呼称である。度々の津波により、昭和8年以降、黒松の防潮林が造成され、日本の白砂青松百選にも選定されている。

淋代海岸(岩村多加雄氏撮影)

本州の東端に近く、北米大陸への太平洋横断最短コースに当り、アメリカの飛行家H・ハーンドンとC・バングボーンが昭和六年十月、初の太平洋無着陸横断飛行に成功し、松林に記念碑がある。

八戸市は県東部の中心地で、漁業又商工業の港として活況を呈する。えんぶり(民俗芸能)、是川縄文遺跡、海猫の蕪島又名勝種差海岸には、東山魁夷「道」の記念碑もある。

八戸えんぶり
子供えんぶり

みちのくの淋代の浜若布寄す     山口青邨

いつまでもひとつ淋代に鳴く蛙    大野林火

さびしろの五月骨片めく貝よ     野澤節子

淋代や轍呑み込み海霧深し      藤木倶子

爽やかや海へ飛び出し蝶帰る     加藤憲曠 

淋代や秋濤地より響きくる      吉田千嘉子 

深雪道女えんぶり色めけり      沢木欣一

雪晴や()()風に乗り飛び尽くす(蕪島)広渡敬雄

〈若布寄す〉の句は、昭和12年の作で第二句集『雪國』に収録。自選自解に「ある句会の若布の席題で、淋代集落を眼に髣髴した。淋代には行ったことはないが、名前のあわれさが、まざまざと想い描かせた。流れ寄る若布を拾って生活の資とする、北辺寒村を憧れる想像の句である。後日、当地に行った折、案内の人に聞いてみたら、八戸では採れるが淋代はわからないとの答えだった。私の外遊中に淋代では若布は採れまいとの文句が出たが、虚子先生が弁じてくれた」とある。

雪の淋代海岸

「固有名詞を駆使し、上五中七の十二音をたつぷりと『みちのく』『淋代の浜』のもつ響き(語調)で表現し、『若布寄す』の春の季感で結んだ」(鷹羽狩行)。「なんという淋しげな地名だろう。地名だけで北国の荒涼とした寒村を彷彿させる。多くの歳時記が若布の例句として掲げている所以だろう」(清水哲男)。「富安風生の<みちのくの伊達の郡の春田かな〉と同様に固有名詞を駆使した俳句独特の修辞で、単純で美しい句である。仮に若布が採れなくても、かえって愛敬であろう。俳人は見てきたような嘘をつくこともある」(山本健吉)等の鑑賞がある。余談ながら、筆者が三沢市に確認したところ、淋代海岸は砂地であり、若布は育たないが、海が荒れた折に沖の若布が海岸に寄せることもあるとのこと。

淋代海岸の若布(吉田千嘉子氏提供)

山口青邨は、明治25(1892)年、盛岡市に生まれ、本名吉郎。旧制岩手県立盛岡中学、第二高等学校を経て、東京帝国大学工科採鉱学科卒業。古河鉱業、農商務省鉱山局技師を経て大正10(1921)年、29歳で東大の工学部助教授となった。同11年高浜虚子に師事し、水原秋櫻子、山口誓子、富安風生等と「東大俳句会」を結成。

昭和5(1930)年の「ホトトギス」五月号で、〈みちのくの町はいぶせき氷柱かな〉他で初巻頭を取り、同年、盛岡で「夏草」を創刊した。同九年、第一句集『雑草園』を上梓し、同12(1937)年から2年間、ベルリン工科大学に留学。〈たんぽゝや長江濁るとこしなへ〉〈舞姫はリラの花よりも濃くにほふ〉〈山高帽(やまたか)に夕立急ロンドンはおもしろし〉〈曇りつつ大英帝國馬鈴薯の花)等百七十四句の海外俳句を残し、海外詠の新しい分野を開いた。

蕪島と海猫(岩村多加雄氏撮影)

帰国後教授に昇格し、同17年、第二句集『雪國』を上梓、意欲的に随筆等も刊行する。毎日新聞俳壇選者となり、同36(1961)年の俳人協会設立に貢献、顧問となった。「東大ホトトギス会」「東京女子大白塔会」で若手を指導育成し、「夏草」では、古舘曹人、深見けん二、小原啄葉、有馬朗人、斎藤夏風、黒田杏子、染谷秀雄、坂本宮尾等を育て、昭和63(1988)年、最後まで選句の欠稿はなく、九十六歳で逝去した。墓は盛岡市東善寺にある。

東山魁夷「道」創作地

「非常に容量の大きな天稟に恵まれ、本業=採鉱学者をおろそかにせず、郷里「みちのく俳句」で俳人としての独創性を確立し、風流の道に勤しんだ重量級の風狂。四S(秋櫻子、青畝、素十、誓子)の名付け親でもあり、ホトトギスの最も長寿の一等星である」(堀口星眠)、「知性に裏付けされた生得の本物のユーモアがある」(飯田龍太)、「俳句は季題十七字の中での私を通しての勝負と言うのが一貫した信念であった」(深見けん二)、「理系の眼の探究心を常に持ち、宣伝嫌いで、純粋、瀟洒、そして秋櫻子との関係に見るように友情に厚く、弟子思いのどこまでも信念の俳人」(有馬朗人)、「権威や欲を離れた人間的魅力で、人を集め、若手を指導育成、嘆きは詠まず常に太陽に向かって俳句を詠み、陶淵明的な隠者性を持った高潔な俳人」(斎藤夏風)、「海外詠を見ると、教養の豊かさやロマンチズム等は鴎外に近い。名利を求めぬ人柄で自ら名付けた四Sの影に隠れた感があったが、死後全業績を見渡すと、人間として強いものを持ち、その表現に徹した青邨は、誰にも劣らぬ存在感を示す。教養人たる近代俳人である」(宗田安正)等々の評がある。

八戸樺島(灯台)

句集は他に『花宰相』『庭にて』『冬青空』『乾燥花』『粗餐』『薔薇窓』『不老』『繚乱』『寒竹風松』等の十二句集、随筆『伯林留学日記』、評論『現代俳論集』等多数。杉並の自宅(三艸書屋)と庭園(雑草園)は、平成5年、北上市の日本現代詩歌文学館の隣に移築復元されており、〈菊咲けり陶淵明の菊咲けり〉の句碑がある。 

みちのくの雪深ければ雪女郎

祖母山も傾山(かたむくさん)も夕立かな(九州羈旅)

人も旅人われも旅人春惜しむ(中尊寺)

お六櫛つくる夜なべや月もよく(木曾藪原)

銀杏散るまつたヾ中に法科あり

外套の裏は緋なりき明治の雪

玉虫の羽のみどりは推古より

はまゆふの葉をうち重ね波としぬ

秋草を活けかへて又秋草を

乱菊やわが学問のしづかなる

こほろぎのこの一徹の貌を見よ(座右ボナールの友情論あり)

初富士のかなしきまでに遠きかな 

ある日妻ぽとんと沈め水中花

凍鶴の一歩を賭けて立ちつくす

蜩や鳴く方をいつも西と思ふ

老妻をいたはるこころ春を待つ

願ぎごとのあれもこれもと日は長し

南部藩士族の誇りと古武士的潔さが九十六年の生涯に貫かれ、心優しく真のユーモアのある大人の俳人と言える。

(「青垣35号」加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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