彫り了へし墓抱き起す猫柳
久保田哲子
一読誰しも、石田波郷の《霜の墓抱き起こされしとき見たり》を思い出すだろう。波郷句は、抱き起こされたのは墓なのか作者自身なのかという議論があったことで有名だが、結論としては療養中の波郷自身が抱き起こされたという句意であったようだ。
この「霜の墓」は実景であると同時に、そこに自らの骨が収められているという幻視でもある。まさに冷え冷えとした景である。
彫り了へし墓抱き起こす猫柳
それに対して掲句。季節は春。実際に墓は抱き起こされている。
掲句のすぐあとには《花曇鬼号を彫りしより墓石》の句がある。石材店に御影石が運び込まれ、墓石のかたちに整形される。この時点ではただの石だ。その後、職人の手によって鬼号が深く彫り込まれ、墓石としての姿を現す。しかし墓石となったものの、地べたに寝かされている限りはまだ墓石も眠っている状態だろう。
それを抱き起こすのである。墓石は相当な重量があるだろうから、数人がかりでそろそろと慎重に起こすのかもしれない。
寝かされている間は鬼号は空と虚ろに向かい合っているだけだったのだが、起こされたことによって作者の目にくろぐろと飛び込んでくる。その瞬間、いずれは自分がそこに入ることになる「墓石」というものが、作者の意識の中に、その重量をもって確かな位置を占めたのである。
早春の猫柳のやわらかな明るさが、墓石の下に眠る人の永遠の安らかさを保証しているようだ。
「白鳥来」(1993年)所収。
(鈴木牛後)
【執筆者プロフィール】
鈴木牛後(すずき・ぎゅうご)
1961年北海道生まれ、北海道在住。「俳句集団【itak】」幹事。「藍生」「雪華」所属。第64回角川俳句賞受賞。句集『根雪と記す』(マルコボ.コム、2012年)、『暖色』(マルコボ.コム、2014年)、『にれかめる』(角川書店、2019年)。
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