麻服の鎖骨つめたし摩天楼 岩永佐保【季語=麻服(夏)】


麻服の鎖骨つめたし摩天楼()

岩永佐保


〈摩天楼〉は、英語のskyscraper(sky/空・天、scrape/こする、er/もの)、スカイスクレーパーの訳語で高層建築物、超高層ビルのことをいう。「摩」には「こする」という意味があり、〈摩天楼〉は、「天を()する」、つまり天をこするほど高い建物、となる。

2021年6月現在、世界で一番高いビルディングは、アラブ首長国連邦のドバイに建つブルジュ・ハリファ(828 m)であるが、超高層ビルの先駆けとなったのがアメリカであることや、〈摩天楼〉という言葉が、ニューヨークのビルを紹介するために使われたこともあるのだろう、〈摩天楼〉といえば、主にニューヨーク、マンハッタンのビル群をいうのが定番のようだ。

〈摩天楼〉といってすぐに思い浮かぶのは何だろう。高さ世界一を狙う超高層ビルの建設競争ブームの真っただ中の、1930年に完成した、クライスラービルディング(319m)、そしてその翌年に完成した、エンパイアステートビルディング(381m)だろうか。並み居る新しいビル群の中にあっても、アールデコ建築の両者の存在感は、今も大きい。エンパイステートビルディングのライトアップはシャープで美しいし、クライスラービルディングのスチール製の尖塔の造形美は格別で、その尖塔にうろこ状に配された三角形の窓窓が灯されたのを初めて見上げたときの感動は今も覚えている。

他にも忘れられないのは、二本のビルが並び、ツイン(双子)タワーとして知られていた、世界貿易センター。北側のノースタワー、ワン・ワールドトレードセンター(528m)は、1972年から73年まで世界で最も高く、2001年のアメリカ同時多発テロで崩壊するまで、ニューヨーク市で最も高かった。その後、2013年に、同名のワン・ワールドトレードセンター(541m)として再建され、再びアメリカで最も高いビルとなり今に至る。全面ガラス張りの水晶の結晶のような姿は、空の移ろいを映し美しい。

今こうしている間も、マンハッタンでは、このワン・ワールドトレードセンターのようなガラス張りのビルディングが、次々と建設されている。ハドソン川沿いの広域に進行中の都市再開発プロジェクト、ハドソン・ヤードのビル群や、セントラル・パーク付近に建設された、ペンシル(鉛筆)・タワーと呼ばれる細長いビル群、そして去年の9月にグランドセントラルターミナル横に完成したばかりの、ワン・ヴァンダービルト(427 m)など目白押し。ビルディングが建設の途中にも、文字通り天を「こすり」ながら丈を伸ばし、限りなく、と思えるほど、その数を増やすさまには驚くばかりだ。

さて、〈摩天楼〉の俳句といえば、「摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行」が新緑との取り合わせにより〈摩天楼〉の存在感を見せて鮮やかだが、掲句は、繊細な身体感覚により〈摩天楼〉を描く秀句。

麻服の鎖骨つめたし摩天楼

〈摩天楼〉の並び立つ大都市は、アスファルトの道路や、コンクリートの建物が熱をため込むため起こる、ヒートアイランド現象により、気温が通常よりも高くなる。一方、建物内の冷房は強いため、建物の中と外との温度差が恐ろしいほど。

掲句は、省略の効いた詩的表現〈麻服の鎖骨〉が印象的。鎖骨の働きだろうか、〈麻服〉を着たその人の華奢な肩先首筋が見えてくる。

〈麻服〉は、「夏服」の傍題。通気性も良く熱を逃がすため、夏には欠かせないが、その装いで、〈摩天楼〉への出入りを続けていると体がその温度の変化に追いつかないことも。

ふと触れた鎖骨が冷たかったのかもしれない。それとも、鎖骨自体が冷たさを感じたのかもしれない。〈麻服の鎖骨つめたし〉が〈摩天楼〉と出会ったことで、そびえ立つ〈摩天楼〉を見上げるその人が見え、〈つめたし〉が身体感覚のみならず、心理的なつめたさ、ある種の憂いとしても響いてきて魅力的だ。

また、句中の言葉同士が絶妙に働き合い、句中の〈鎖骨を〉もつ(ぬし)の物語だけでなく、その物語の枠を超えたところから、掲句自体が語る声が聞こえてくるもの魅力だ。

たとえば、「麻」と、「麻」の部首を持つ「摩」とが呼び合い、衣類である〈麻服〉と、建築である〈摩天楼〉という、一見すると異質なものが、ともに人を包むもの、守るものとして浮かび上がってきたりする。

たとえば、〈鎖骨〉の「骨」の文字が、人も〈摩天楼〉も、共に構造物であることを想起させ、有機の構造物としての小さな人間と、その人間が創り上げた無機の構造物としての巨大な〈摩天楼〉との、目眩するほどのコントラストが見えてきたりする。

麻服の鎖骨つめたし摩天楼

読み返すたびに、「麻」「服」「鎖」「骨」「摩」「天」「楼」の文字同士が、〈つめたし〉の感覚のもと、読む者の心の深いところで、響き合い、たとえば、強く惹かれながらも厭うような人の相反した心情や、形あるものの存在の儚さとそれゆえの美しさなどを、そこはかとなく、伝えてくる。

これら重層的な味わいが何回も筆者を掲句に呼び戻すことだろう。

さて、そろそろ散歩にでかけよう。今日はもちろん、〈摩天楼〉の只中へ。

『迦音』(角川書店、2012年)

*摩天楼については以下のサイトを参考にした。

「摩天楼」の意味と使い方・語源・類語|ニューヨーク/日本

さらに詳しく知りたい方はこちらも。

「摩天楼」はいったい誰が訳したのか、言語学の夢想家

https://ja.wikipedia.org/wiki/超高層ビルの一覧

https://ja.wikipedia.org/wiki/ニューヨーク市の高層ビル一覧

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino


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