父がまづ走つてみたり風車
矢島渚男
最近、風車を見かけることがほとんどなくなった気がする。私の子どもの頃は、遊び道具の一つとして、どこからやってきたのか分からない風車が、日常の風景のように当たり前にそこにあった。
鮮やかだけどどこか安っぽい色をしたセルロイドの風車。それを吹いたり、持って走ったりして回しては、たわいもない遊びを飽きもせずに繰り返していたな、と思う。
この句の季語は「風車」。季節は春。どうして春?と思う季語の一つだと思うが、昔、春先になると風車売りがやってきて、風車を売っていたところから春の季語になっている。
あたたかき風がぐるぐる風車 正岡子規
街角の風を売るなり風車 三好達治
こんな句を読むと、春風にまわる風車や街角に立つ風車売りの姿が目に浮かんでくるようだ。
さて掲句。
子どもに遊び方を教えるために、まずは父がやってみる。何気ない句だけれど、「走つてみたり」の父の姿が一句をとてもいきいきとさせていて、読むたびに愛おしくなる。
そして、たぶん、この句は「母」ではなく「父」であるところが好ましい。
理屈はよく分からないけれど、「母」だとどこか当たり前のような気がするのかもしれない。
「父」という存在の寡黙さが、「父がまづ走つてみたり」という映像と重なって、句を引き立てているような気がするのである。
(日下野由季)
【執筆者プロフィール】
日下野由季(ひがの・ゆき)
1977年東京生まれ。「海」編集長。第17回山本健吉評論賞、第42回俳人協会新人賞(第二句集『馥郁』)受賞。著書に句集『祈りの天』、『4週間でつくるはじめてのやさしい俳句練習帖』(監修)、『春夏秋冬を楽しむ俳句歳時記』(監修)。
【日下野由季のバックナンバー】
>>〔24〕人はみななにかにはげみ初桜 深見けん二
>>〔23〕妻の遺品ならざるはなし春星も 右城暮石
>>〔22〕軋みつつ花束となるチューリップ 津川絵理子
>>〔21〕来て見ればほゝけちらして猫柳 細見綾子
>>〔20〕氷に上る魚木に登る童かな 鷹羽狩行
>>〔19〕紅梅や凍えたる手のおきどころ 竹久夢二
>>〔18〕叱られて目をつぶる猫春隣 久保田万太郎
>>〔17〕水仙や古鏡の如く花をかかぐ 松本たかし
>>〔16〕此木戸や錠のさされて冬の月 其角
>>〔15〕松過ぎの一日二日水の如 川崎展宏
>>〔14〕いづくともなき合掌や初御空 中村汀女
>>〔13〕数へ日を二人で数へ始めけり 矢野玲奈
>>〔12〕うつくしき羽子板市や買はで過ぐ 高浜虚子
>>〔11〕てつぺんにまたすくひ足す落葉焚 藺草慶子
>>〔10〕大空に伸び傾ける冬木かな 高浜虚子
>>〔9〕あたたかき十一月もすみにけり 中村草田男
>>〔8〕いつの間に昼の月出て冬の空 内藤鳴雪
>>〔7〕逢へば短日人しれず得ししづけさも 野澤節子
>>〔6〕冬と云ふ口笛を吹くやうにフユ 川崎展宏
>>〔5〕夕づつにまつ毛澄みゆく冬よ来よ 千代田葛彦
>>〔4〕団栗の二つであふれ吾子の手は 今瀬剛一
>>〔3〕好きな繪の賣れずにあれば草紅葉 田中裕明
>>〔2〕流星も入れてドロップ缶に蓋 今井 聖
>>〔1〕渡り鳥はるかなるとき光りけり 川口重美
【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】