夏潮のコバルト裂きて快速艇
牛田修嗣
日曜日、オペラ座へ向かって歩いていると、道の反対から小さな娘さんを連れた堀切さんがあらわれた。セクト・ポクリット管理人の堀切さんが、旅行でニースにやってきたのだ。
あらかじめ「海でカフェしましょう」と打ち合わせしてあったとおり浜辺に向かい、さいきん解禁されたばかりのカフェに陣どって、はるばると海を眺める。海は風が強かった。雲がみるみる流れ、くっきりと青と白の縞目の浮き出した隣の席のパラソルが倒れ、目の前のデッキチェアが空を飛んだ。背後の木製カウンターがひっくりかえり、観葉植物の鉢が浜辺に転がった。つぎつぎ起こるアクシデントをふせごうと、店員たちが走り回ってはパラソルをとじ、風に倒される前に自分たちで倒してゆく。パラソルが消え、空へと視界がひろがる。蒼天と海風にさらされながら、わたしたちは、あいかわらず海を眺めつづけた。
夏潮のコバルト裂きて快速艇 牛田修嗣
このとおりの光景が、目の前にひろがっている。娘さんは渚の方へ向かい、石を拾っている。堀切さんは過去に一度お目にかかったが、きちんとお話したことはなく、ふだん何をしている人なのかよく知らないし、また堀切さんの側もそのようだった。この日もほとんど会話らしい会話をせず、かといって気まずくなることもなく、ひたすら海を見ていた。私は無口な性分だ。堀切さんも黙っているのが平気な質のようで、いっしょにいて、とても居心地がよかった。どうしてだろう?と首をかしげたくなるくらいに。
2時間後、堀切さんは娘さんを連れてバスに乗り、コバルトブルーの海から、シャガールブルーの美術館へ向かった。
掲句は牛田修嗣句集『白帆』より。
(小津夜景)
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【執筆者プロフィール】
小津夜景(おづ・やけい)
1973年生まれ。俳人。著書に句集『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂、2016年)、翻訳と随筆『カモメの日の読書 漢詩と暮らす』(東京四季出版、2018年)、近刊に『漢詩の手帖 いつかたこぶねになる日』(素粒社、2020年)。ブログ「小津夜景日記」
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