いつの間にがらりと涼しチョコレート 星野立子【季語=涼し(夏)】


いつの間にがらりと涼しチョコレート

星野立子

昭和九年作『立子句集』所収

下五の力

俳誌「秋草」における令和六年からの目玉のひとつに、会員による「作家論」と「作家論を読む」のコーナーがある。今年は主に若手の会員が書き手となり、これまで中村草田男、飯島晴子、原石鼎、高野素十を六頁にわたり読み解いている。その「作家論」をさらに別の会員が読む「作家論を読む」が、それぞれの「作家論」に続く。会員みんなでひたすら俳句を読んでゆくところが「秋草」らしいなぁと思っている。

そんな経緯で、決して若手ではない私も星野立子をまとめて読んでいる最中だ。読み始めてまず感じたのは、立子を論じる技量もないし、多くの俳句を暗誦できるわけでもない私には、「この山は大きすぎる!」ということ。立子という憧れの山にどこから近づいて登ってゆけばよいのか、登山口をいまだに探しあぐねている。

『立子へ』(東京美術)によると、掲句について虚子は、「チヨコレートと下五に置き得た人は誰であらう、と思ひながら取つたのであつたが、其がお前の句であつたのを知つた時は「はゝあ、お前の句であったのか。」と思つた。併し此種の句もすぐ模倣句が生まれるであらう」と記している。また、『立子俳句365日』(梅里書房)によると、この句は赤星水竹居別邸でのホトトギス同人会で投句されたもの。苦しいほどの蒸し暑い、雷がしきりに鳴る、石畳の上を蟻が忙しく右往左往している、茄子畑の蝶が真っ白。そんな日に、座敷に上がって投句を清記したり互選をしたりしている間に、ふと立子に浮かんだ句だという。理屈などない、まさに授かった句ということだ。本当にチョコレートを口にしての句なのか、などを考察するのは野暮な気がしてくるくらい下五不動のインパクトと力強さ、スピード感がある。読者は五感をフル稼働させて句会場での景色を想像しつつ、ふと立子の感じた涼しさを<がらり>という措辞とチョコレートという物で味わえばよいと思う。その味わいのなかで、「情三景七」とも評される立子句ならではの、単なる写生で終らないものも感じる。とても魅力のある一句だ。

下五については、昭和十五年の吟行句会において、虚子と立子は以下のように異なる句を出したことがあるそうだ。

蜻蛉のおのが影追ふ水の上 虚子

蜻蛉のおのが影追ふ水鏡  立子

虚子はこの立子句を取ったかどうかまではわからないが、選句表が回ってきたときには目を見張ったことだろう。そして名乗りによって作者が立子だとわかったときには、きっと頬を緩めたことだろう。水の上という単なる場所にとどまらず、景を鏡として捉えた「水鏡」という言葉によって、より豊かに静かに蜻蛉の影が広がっていく。十七音が最後まで緩まない。下五の力を感じる。

ところで、「秋草」の言葉席題句会で、山口昭男主宰と拙句が上五以外同じだったことがある。しかしその上五は肝心な季語であったため、主宰には取られず、(無謀にも)「秋草」誌に投句しても掲載されることはなかった。いつか季語と懇ろになれたら、もっと鋭く厳しい季語を授かって主宰を驚かす一句にできたらいいな、と思っている。

村上瑠璃甫


【執筆者プロフィール】
村上瑠璃甫(むらかみ・るりほ)「秋草」所属
1968年 大阪生まれ
2018年 俳句を始める
2020年12月 「秋草」入会、山口昭男に師事
2024年6月 第一句集『羽根』を朔出版より刊行

これまで見たことのない大胆な取り合わせに、思わずはっと息をのむ。選び抜かれた言葉は透明感をまとい、一句一句が胸の奥深くまで届くような心地よさが魅力。今、注目の俳誌「秋草」で活躍する精鋭俳人の、待望の初句集!「秋草」以後の298句収録。

村上瑠璃甫句集『羽根』

発行:2024年6月6日
序文:山口昭男
装丁装画:奥村靫正/TSTJ
四六判仮フランス装 184頁
定価:2200円(税込)
ISBN:978-4-911090-10-7 C0092


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2024年7月の火曜日☆村上瑠璃甫のバックナンバー】
>>〔1〕先生が瓜盗人でおはせしか 高浜虚子
>>〔2〕大金をもちて茅の輪をくぐりけり 波多野爽波
>>〔3〕一つだに動かぬ干梅となりて 佛原明澄

【2024年7月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
>>〔5〕東京や涙が蟻になってゆく 峠谷清広
>>〔6〕夏つばめ気流の冠をください 川田由美子
>>〔7〕黒繻子にジャズのきこゆる花火かな 小津夜景 

【2024年6月の火曜日☆常原拓のバックナンバー】
>>〔5〕早乙女のもどりは眼鏡掛けてをり 鎌田恭輔
>>〔6〕夕飯よけふは昼寝をせぬままに 木村定生
>>〔7〕鯖買ふと決めて出てゆく茂かな 岩田由美
>>〔8〕缶ビールあけて東京ひびきけり 渡辺一二三

【2024年6月の水曜日?☆阪西敦子のバックナンバー】
>>〔124〕留守の家の金魚に部屋の灯を残し 稲畑汀子
>>〔125〕金魚大鱗夕焼の空の如きあり 松本たかし

【2024年6月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
>>〔1〕赤んぼころがり昼寝の漁婦に試射砲音 古沢太穂
>>〔2〕街の縮図が薔薇挿すコップの面にあり 原子公平
>>〔3〕楽譜読めぬ子雲をつれて親夏雲 秋元不死男
>>〔4〕汗の女体に岩手山塊殺到す 加藤楸邨

【2024年5月の火曜日☆常原拓のバックナンバー】
>>〔1〕今年の蠅叩去年の蠅叩 山口昭男
>>〔2〕本の背は金の文字押し胡麻の花 田中裕明
>>〔3〕夜の子の明日の水着を着てあるく 森賀まり
>>〔4〕菱形に赤子をくるみ夏座敷 対中いずみ

【2024年5月の水曜日☆杉山久子のバックナンバー】
>>〔5〕たくさんのお尻の並ぶ汐干かな 杉原祐之
>>〔6〕捩花の誤解ねぢれて空は青 細谷喨々
>>〔7〕主われを愛すと歌ふ新樹かな 利普苑るな
>>〔8〕青嵐神社があったので拝む 池田澄子
>>〔9〕万緑やご飯のあとのまたご飯 宮本佳世乃

【2024年5月の木曜日☆小助川駒介のバックナンバー】
>>〔4〕一つづつ包むパイ皮春惜しむ 代田青鳥
>>〔5〕しまうまがシャツ着て跳ねて夏来る 富安風生
>>〔6〕パン屋の娘頬に粉つけ街薄暑 高田風人子
>>〔7〕ラベンダー添へたる妻の置手紙 内堀いっぽ

【2024年4月の火曜日☆阪西敦子のバックナンバー】
>>〔119〕初花や竹の奥より朝日かげ    川端茅舎
>>〔120〕東風を負ひ東風にむかひて相離る   三宅清三郎
>>〔121〕朝寝楽し障子と壺と白ければ   三宅清三郎
>>〔122〕春惜しみつゝ蝶々におくれゆく   三宅清三郎
>>〔123〕わが家の見えて日ねもす蝶の野良 佐藤念腹

【2024年4月の水曜日☆杉山久子のバックナンバー】
>>〔1〕麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子
>>〔2〕白魚の目に哀願の二つ三つ 田村葉
>>〔3〕無駄足も無駄骨もある苗木市 仲寒蟬
>>〔4〕飛んでゐる蝶にいつより蜂の影 中西夕紀

【2024年4月の木曜日☆小助川駒介のバックナンバー】
>>〔1〕なにがなし善きこと言はな復活祭 野澤節子
>>〔2〕春菊や料理教室みな男 仲谷あきら
>>〔3〕春の夢魚からもらふ首飾り 井上たま子

【2024年3月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】
>>〔14〕芹と名がつく賑やかな娘が走る 中村梨々
>>〔15〕一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子
>>〔16〕牡丹ていっくに蕪村ずること二三片 加藤郁乎

【2024年3月の水曜日☆山岸由佳のバックナンバー】
>>〔5〕唐太の天ぞ垂れたり鰊群来 山口誓子
>>〔6〕少女才長け鶯の鳴き真似する  三橋鷹女
>>〔7〕金色の種まき赤児がささやくよ  寺田京子

【2024年3月の木曜日☆板倉ケンタのバックナンバー】
>>〔6〕祈るべき天と思えど天の病む 石牟礼道子
>>〔7〕吾も春の野に下りたてば紫に 星野立子


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

関連記事