雲の上に綾蝶舞い雷鳴す
石牟礼道子
(「石牟礼道子全句集」)
「綾蝶」には、「あやはびら」とルビがふってある。蝶の古名は「かはびらこ」であり、たしか高山れおなが句に詠み込んでいたと記憶するが、「あやはびら」は初耳。音が共通するから、語源は同じなのだろうか。調べてみると、琉歌の歌詞に「あやはべる」として出てくるようである。石牟礼が「あやはべる」ならぬ「あやはびら」とルビをふった由来は未詳なのだが、どうも石牟礼は、この「綾蝶」を魂とほぼ同義のものとして使っているように思われる。それは上五「雲の上」に端的に現れているだろう。古代には、アゲハの幼虫を常世虫(神)として信仰する人々すらいたというから、魂と蝶の結びつきの淵源は古い。石牟礼のこの用法は、あるいはブッキッシュなものなのかもしれないけれども、正岡子規も夢で蝶(と思ったら小さい神々)と一緒に飛んでいた、という話を書き残している。この人々の生のありようを考えるとき、自他の生き死にの瀬戸際に生きた人間にとって、蝶というのはそのようなものとして目に映る生き物なのかも知れない、と思う。
(橋本直)
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【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。