ハイクノミカタ

こすれあく蓋もガラスの梅雨曇 上田信治【季語=梅雨曇(夏)】


こすれあく蓋もガラスの梅雨曇

上田信治


アメリカには〈梅雨〉が無い。日本を思いつつ今週も〈梅雨〉の句を。今週は〈梅雨曇〉。先週の〈梅雨〉の句とはまた違った味わいで魅力的。

とても感覚の効いた句で、その感覚がいい。

まず、〈こすれあく蓋もガラスの〉の後に予想される〈こすれあく蓋もガラスの〉物の名の省略が効いている。切れ字としての「の」がよく働いているともいえるかもしれない。

〈蓋もガラスの〉の「も」が働き、本体もガラスでできたものであることがわかる。瓶かもしれないし、ガラスでできた小物入れかもしれない。〈こすれあく〉なのでおそらく、口の狭い、たとえば昔の薬瓶などか。ともあれ〈こすれあく〉からガラス同士が擦れる時の、独特の音や、開ける時の指に伝わる微妙な感触といった質感、つまりクオリアが読者の意識に現れる。具体的な物の名が置かれていないことで、その名が連れてきてしまったであろう、素材以外の追体験をしなやかに除き、このガラス素材のクオリアのみを豊かに読者に追体験させ得ているのだ。

ただ、これは読者にとっての、自分と意識している「自分」である表層意識が考えて得る、のでなく、深い部分の「内なる自分」である深層意識が感じて「自分」に伝える、という出来事。「自分との対話」はおのずと始まっている。(「自分との対話」については12月23日の鑑賞に、「自分」「内なる自分」については2月17日の鑑賞、に詳細あり。)

次に、〈こすれあく蓋もガラスの〉から〈梅雨曇〉の飛躍がいい。再び、切れ字としての「の」がよく働いているともいえるかもしれない。

〈梅雨曇〉は、梅雨時の曇りをいう。じっとりとしていて他の季節の曇りとは違う。

上五中七の、格助詞の「の」は、性質・状態をあらわすため、頭は〈こすれあく蓋もガラスの〉のあと、習慣上「どんな物だろう」と、ある物体を想定しまうものだが、そこへ〈梅雨曇〉という天候が現れたことで、軽く裏切られる。この小気味良い裏切りの快感、そして〈こすれあく蓋もガラスの〉から刺激され想起されていた、視覚、聴覚、触覚のクオリアがすべて〈梅雨曇〉の空気感に溶け込んでゆく快感に読者は酔うのだ。

ガラス質の梅雨曇。

ああ梅雨。

『リボン』(邑書林、2017年)

月野ぽぽな


【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino


【月野ぽぽなのバックナンバー】
>>〔36〕吊皮のしづかな拳梅雨に入る     村上鞆彦
>>〔35〕遠くより風来て夏の海となる     飯田龍太
>>〔34〕指入れてそろりと海の霧を巻く    野崎憲子
>>〔33〕わが影を泉へおとし掬ひけり     木本隆行
>>〔32〕ゆく船に乗る金魚鉢その金魚     島田牙城
>>〔31〕武具飾る海をへだてて離れ住み    加藤耕子
>>〔30〕追ふ蝶と追はれる蝶と入れ替はる   岡田由季
>>〔29〕水の地球すこしはなれて春の月   正木ゆう子
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>>〔22〕雛飾りつゝふと命惜しきかな     星野立子
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>>〔7〕鴨翔つてみづの輪ふたつ交はりぬ  三島ゆかり
>>〔6〕とび・からす息合わせ鳴く小六月   城取信平
>>〔5〕木の中に入れば木の陰秋惜しむ     大西朋
>>〔4〕真っ白な番つがいの蝶よ秋草に    木村丹乙
>>〔3〕おなじ長さの過去と未来よ星月夜  中村加津彦
>>〔2〕一番に押す停車釦天の川     こしのゆみこ
>>〔1〕つゆくさをちりばめここにねむりなさい 冬野虹



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