どの絵にも前のめりして秋の人 藤本夕衣【季語=秋(秋)】


どの絵にも前のめりして秋の人

藤本夕衣


東京都現代美術館で開催中の横尾忠則展を見た。イラストレーター時代を含めた60年に及ぶ画業の回顧だけではなく、去年今年のコロナ禍の下に制作された大作の数々も展示されている。私なんぞは横尾忠則というとカウンターカルチャー的な作品や「Y字路」シリーズ程度しか思い浮かばないアート門外漢なので、厖大な展示品のモチーフや題材の豊富さにびっくりし、80歳を過ぎてなお新しい作風に取り組む強靭な精神には圧倒を通り越して眩暈を起こしそうになった。会場から会場へ渡る廊下部分に「タマへのレクイエム」と題した連作が飾られている。15年間暮らした愛猫が生を終えたその日から画家が描き続けたという作品群。やんちゃな様子や静かに見つめ返す瞳など、どれも猫飼いには馴染み深い姿の一点一点から画家の哀惜の情が直球で伝わってきて、これはもう全猫好き必見だと思う。タマというのがまたウチの猫によく似ているものだから、なおさら胸がいっぱいになった。

横尾忠則展の宣伝と猫バカはこのくらいにして。

掲句は読んでの通り芸術の秋らしい一コマを切り取っている。

作中の人は美術愛好家と思しく、壁に懸けられた絵画のことごとくを熱心に見ている。足下に引かれたボーダーラインを越えないように配慮しながらも顔は絵にくっつかんばかりだ。そうやって会場内を巡る真面目な鑑賞者に作者は感心しつつも、半ば呆れて面白く感じたのだろう。

侘び寂びやもののあはれといった詩歌の伝統的な美意識を背負った「秋」という季語をこんな風にちょっと軽くいなしてみせたところ、俳諧味というべきか。

全作品をつぶさに堪能したこの人はその後どうしたことだろう。何点の絵が心に残っただろう。家に戻ってから感想を日記やSNSに認めただろうか、まさか自分が俳句という作品内に永遠に留められたとも知らずに。

『遠くの声』ふらんす堂 2019年より)

太田うさぎ


【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』


【太田うさぎのバックナンバー】

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>>〔49〕指は一粒回してはづす夜の葡萄    上田信治
>>〔48〕鶺鴒がとぶぱつと白ぱつと白     村上鞆彦
>>〔47〕あづきあらひやひとり酌む酒が好き  西野文代
>>〔46〕夫婦は赤子があつてぼんやりと暮らす瓜を作つた 中塚一碧楼
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>>〔44〕金閣をにらむ裸の翁かな      大木あまり
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>>〔35〕好きな樹の下を通ひて五月果つ    岡崎るり子
>>〔34〕多国籍香水六時六本木        佐川盟子
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>>〔32〕黄金週間屋上に鳥居ひとつ     松本てふこ
>>〔31〕若葉してうるさいッ玄米パン屋さん  三橋鷹女
>>〔30〕江の島の賑やかな日の仔猫かな   遠藤由樹子
>>〔29〕竹秋や男と女畳拭く         飯島晴子
>>〔28〕鶯や製茶会社のホツチキス      渡邊白泉
>>〔27〕春林をわれ落涙のごとく出る     阿部青鞋
>>〔26〕春は曙そろそろ帰つてくれないか   櫂未知子
>>〔25〕漕いで漕いで郵便配達夫は蝶に    関根誠子
>>〔24〕飯蛸に昼の花火がぽんぽんと     大野朱香
>>〔23〕復興の遅れの更地春疾風       菊田島椿
>>〔22〕花ミモザ帽子を買ふと言ひ出しぬ  星野麥丘人
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>>〔20〕二ン月や鼻より口に音抜けて     桑原三郎
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>>〔17〕枯野から信長の弾くピアノかな    手嶋崖元
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>>〔13〕霜柱ひとはぎくしやくしたるもの  山田真砂年
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>>〔11〕蓮ほどの枯れぶりなくて男われ   能村登四郎
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>>〔9〕暖房や絵本の熊は家に住み       川島葵 
>>〔8〕冬の鷺一歩の水輪つくりけり     好井由江
>>〔7〕どんぶりに顔を埋めて暮早し     飯田冬眞
>>〔6〕革靴の光の揃ふ今朝の冬      津川絵里子
>>〔5〕新蕎麦や狐狗狸さんを招きては    藤原月彦
>>〔4〕女房の化粧の音に秋澄めり      戸松九里
>>〔3〕ワイシャツに付けり蝗の分泌液    茨木和生
>>〔2〕秋蝶の転校生のやうに来し      大牧 広
>>〔1〕長き夜の四人が実にいい手つき    佐山哲郎


【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】

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