復讐の馬乗りの僕嗤っていた 福田若之


復讐の馬乗りの僕嗤っていた)

福田若之
句集『自生地』(東京四季出版、2017年))


後で紹介する高山れおな氏の文章によれば、句集『自生地』は1076句を収めたものであるとのこと。

この句についてはしばらく前から書きたいと思っていて、「『自生地』における『暴力』」という論題を頭の中で転がしていた。準備モードに入った今、表面的な方法だけどまずはキーワードに準拠して句を抜き出してみたところで早くも驚きの事実に気付く。この句集を10周、20周している人には自明なのかもしれないが、自明ゆえに意識に上らないことも一般的にあるかもしれないと思うので書いてみると、実は『自生地』には暴力の句は非常に少ない、ただし戦争関係の句を除いては、という点だ。

列挙してみよう。以下には兵器が比喩として用いられ、それとして登場しないものも含む。また厳密に網羅したわけではなく、選定基準は恣意的であるが、少なくとも半分近くは拾ったかと思う。

言葉狩り族と撃ち合う虹の上

バズーカを撃つとベッドの上にいた

来る日も来る日もプププランドでなぶりあう

レモン両断もできんとかしばくぞ

思い出を花野のなかで射殺する

殴られて星見えて暑さも何も

蛍追う君のミサイルめく笑顔

暴力のようなでんでん虫が来る

とんぼ 駄菓子屋のレーザー銃が鳴る

化石つめたく愛か殺意か抱きつきあい

カレクサカレクサマンガノ血シブキハ黒イ

朝、醒めたら原爆になってて落ちる

戦場のばばばば蝶を焼くばばば

浮遊するシニフィアン夜店で撃つよ

ここに引いた14句に分け入るにあたって主体は暴力を行使するのか或いは被るのかなど、分類のためのいくつかの座標は考えられるだろう。またフィクションやゲームや模造品(駄菓子屋)の外枠によって無力化されたものもあるのは百も承知だが、まずは本気で受け取ってみる。そうしてみると、暴力は大抵の場合兵器によって担われているということがなかなか明らかだろう。「撃ち合う」「バズーカ」「射殺」「ミサイル」「レーザー銃」「原爆」「戦場のばばばば」「撃つ」の8句があるし、「君となら戦争してもいいよ桜」の句もあるくらいだ。もちろん「撃つ」のは輪ゴム鉄砲や指鉄砲によってすら可能であり、そこは誇張しながらいま論を進めている。逆に素手で力を行使していることが明らかなのは「しばくぞ」「殴られて」の2句だろうか。「化石つめたく」の場合、抱きつき合っているのは化石か?この点は、すぐには確定できないような気がした。

書き出すにあたって、高山れおなによる批評「福田若之『自生地』を読む」(週刊俳句第570号、2018/03/25)を一読した。

その丁寧で手数の多い批評に敬意を表しつつ、この若之句集が幼年期や過去を言語の上で取り戻す企てを一つの柱としているという高山の見方を参考にするならば、それほど無理な飛躍なしに、次のように言えるのではないか。一文でまず言うとすれば、大人が戦争形式で遂行する暴力を子供は素手で行うのであり、作者はこの子供の暴力に何とかして遡ろうとしているのだ、と。

ある意味で兵器は、暴力の発現を戦争(二つの陣営の間でのコード化された対立)へと総合してしまう。したがって、より現場的な生身の暴力へ立ち戻るには、兵器によるこの総合の仕方をまず言葉(句)によって再現する必要があり、兵器句は全体としてそういう作業に位置付けられる。総合の方法が解剖されればこそ、総合される前の暴力がどんなものであるかを想起することができる。そして見出された、かなり生に近い暴力が、「レモン両断もできんとかしばくぞ」であり、掲句である。

復讐の馬乗りの僕嗤っていた」。

つくづくすごい句ではないだろうか。

「の」を二度重ねる、動詞的事態の名詞化によって中七まで行く手法はごく俳句的である。その中七の底で「僕」とあえて提示し焦点が定まった後で、「嗤っていた」。この「嗤」は様々な笑いのヴァリエーションの中でも――「嘲笑」とか――、間違いなく最も強く読者を揺さぶる語だろう。僕には、いわゆる写生的な意味で、「僕」がどんな笑いを笑っているのか、この下五でまるで分からなくなってしまった。映像が突如四散してしまう感じがある。句を読むのに具体的個人としての作者に引き付けるのは必ずしも良いことではなかろうが、作者を知っている僕としては、ウェブサイト「マイナビブックス」の企画として16回連載された「塔は崩れ去った」に添えられたプロフィール画像を思い浮かべるのがぴったりな気がした。久々にアクセスしたところ、記憶と違って笑っている画像ではなかった。ともかくも一見していただきたい。

美化されたロマン主義的な視線を向けるならば、掲句での「僕」はまだ善悪があるということすらもよく感得していない、純粋な生の充実を生きている存在であるということになるだろう。「僕」は別に善悪のボーダーを越えた歓びを笑っているわけではない、と。しかしそのような読みに、またしてもこの「嗤」が邪魔をする。やはりここにはかなり邪悪な喜びが潜んでいると言わざるをえまい。それに「復讐」と言っているからには、因果応報的なロジックくらいは分かっていて馬乗りに及んでいるのだろう。たとえ、この行使を復讐と呼んだのは、それを句として書く時点での福田若之であって、句の中での「僕」はただ、やられたことをやり返すという「本能」に従っている、と弁護することもできなくはない、としても。

もっと書くべきものはあると感じるが、今回はここで閉じておいて、他の方による意見や連想などにも耳を傾けたい。分量ほど批評的なことは言えていないが、その準備作業くらいにはなったかと思う。とにかく、「人間は傷つけることにすら喜びを覚える」というこのことを書き留めた俳句として、掲句は是非とも記憶されなければならないと感じた。

『自生地』の全体を論じるのはかなり難しい作業だろう。何か分かりやすく論題を設定して、自分なりに切り取りながら掻き分けていく必要を感じていた。その一つが今回の「暴力」。後の二つに「快楽」と「野菜」を挙げておこうかと思う。

「塔は崩れ去った」が更新されていた2014年9月から2015年1月までの期間は、丁度開成俳句部での活動と俳句甲子園を終えて受験勉強中だったが、この連載は見逃さずに読んでいたし、友達と話題にしたことも覚えている。しかし大学の間には健全な句を作っている内に俳句が極度につまらなくなってしまった。今度は俳句の内でも不健全な領野を踏み歩くことを自分に課すつもりである。

しばくぞ。

永山智郎


【執筆者プロフィール】
永山智郎(ながやま・ともろう)
1997年、富山県高岡市生まれ。さいたま市に育つ。2009年、作句開始。2014年、第6回石田波郷新人賞準賞。「銀化」「群青」所属。共著に『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



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