【連載】
趣味と写真と、ときどき俳句と【#48】
アドバイス
アドバイスは難しい。現在、所属しているのが教育学部だからか、学生にアドバイス等をする必要が生じやすく――ゼミや授業等は当然として、教育実習関連の授業実践やその準備、また教員の進路相談など――、話しながら冷汗をかくことが多い。
なぜ難しいかといえば、「助言が適切なのかどうか」という大問題に加えて「自分はどこまでアドバイスできるのか、そしてどこからは出来ないのか」といった判断の難しさが横たわっているためだ。アドバイスが適切かどうかを判断するには当然ながら相手が抱える問題や現状に至った原因、改善点その他を的確に把握しなければならず、その上でどのような表現で伝えれば相手の心に届くかも考えねばならない。
状況判断が誤れば筋違いな助言になるだけでなく、相手の長所や可能性の芽を摘むことにもなりかねず、また見当違いな表現で伝えてしまうと相手が反発したり、心を閉じてしまえば元も子もない。
タイミングも重要だ。相手がアドバイスをそれなりに受け入れ、何かしら考えたり、試してみる心情になるには、その助言を受け入れる時期やタイミングがあることを少しずつ知るようになった。こういう風に色々考えると、「アドバイスは難しい」という実感を抱いてしまうのだ。
往年のプロ野球の大打者である落合博満氏は現役引退後、アドバイスやコーチ業について興味深いことを述べている。
“私には、コーチという仕事は教えるものではなく、見ているだけでいいという持論がある。
私が指導者になり、ある選手の打ち方を見て「そうではなく、こうしないといけない」と言ったとしても、それは見る側である私の勝手な解釈に過ぎない。実際にやっているのは選手本人だ。本人の感覚までは、我々にはわからない。
野球が上達する一番の秘訣は、技術的なことでも精神的なことでもない。その選手の感性の豊かさだ。ある選手の練習方法が、周りから見れば良くないやり方の場合がある。だが、周りの人間が取り組み方を変えなければいけないとわかっていても、その選手自身が理解しなければ、今まで積み上げてきたものがゼロになる可能性も出てきてしまう。(略)その選手には、その選手なりの良い部分がある。だから指導者は、その良い部分は何かを見極めて頭の中に叩き込んでおけばいい。そのためには、何が良くて何が悪いかを分析する能力がなければならない。見ているだけでいいと言ったが、ただ単に眺めているだけでは答えは出せない。“(『コーチング』)
落合氏は「コーチという仕事は教えるものではなく、見ているだけでいい」と何気なく述べるが、その条件がいかに難しいかは次の一文を読むとよく分かるだろう。「教える際には相手の指導者は、その良い部分は何かを見極めて頭の中に叩き込んでおけばいい。そのためには、何が良くて何が悪いかを分析する能力がなければならない」。
これを実践しうる人物がどれほどいるだろう? それに落合氏は直接述べていないが、こういう「分析」を的確になしうる人物は、自身が何をどこまで把握できているのか、そしてどこから把握できていないのかという認識が的確に出来ている可能性が高い。
「自分は色々分かっている」と自負を持った人物が「分析する能力」を持ち合わせているとは限らず、というより思いこみに近い押し付けになる場合も少なくない。
こういうことを感じるようになったのは、アドバイスで色々失敗した体験が大きいのかもしれない。学生に限らず知り合いその他に対し、アドバイスのつもりで言ったことが批判や余計なお世話と取られたり、「関係ない話が続いているな」といった調子で聞き流されたことが(迂闊にも)後で分かったりと、様々な助言失敗例を積み重ねてきたためだ。そういった多数の自滅(たぶん)を経た後、気付けば助言や人に何かを勧めることには慎重になったのである。
それにしてもアドバイスをしたり、されたりすることのないような神々の存在に人間はいつになったらなれるのだろうか。誰もがまどろむような表情で海辺のハンモックに揺られながら、トロピカルジュースを飲んで波の音に包まれながらのんびり過ごす毎日はいつになったらやってくるのだろう。
何かしらアドバイスをせざるを得なくなった時、もしかすると最も有効なのは無言でハワイアンのBGMを流し始め、一緒に黙って聴き続けることかもしれない、とふと思う。
【執筆者プロフィール】
青木亮人(あおき・まこと)
昭和49年、北海道生まれ。近現代俳句研究、愛媛大学教授。著書に『近代俳句の諸相』『さくっと近代俳句入門』『教養としての俳句』など。
【もう読みましたか? 青木亮人さんの『教養としての俳句』】
俳句は、日本のリベラルアーツだ。
日本の伝統文芸として、数百年ものあいだ連綿と受け継がれてきた俳句。その愛好者は1000万人ともいわれている。にもかかわらず、私たちはその知識をどこでも学んでこなかった。そこで本書では、数々の賞を受けてきた気鋭の評論家が、日本人として最低限おさえておきたい俳句のいろはを解説。そもそも俳句ってどうやって生まれたの? 季語ってなぜ必要なの? どうやって俳句の意味を読みとけばいいの? 知識として俳句を知るための超・入門書。
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