Tシャツの干し方愛の終わらせ方 神野紗希【季語=Tシャツ(夏)】


Tシャツの干し方愛の終わらせ方

神野紗希
『すみれそよぐ』


夏になると洗濯物にTシャツが増える。団地の多い街では、ベランダに干された色とりどりのTシャツが合戦絵巻の旗のように陣地を主張する。白いTシャツは源氏で赤いのは平家だなどと一人楽しんでいる。独身時代、Tシャツは型が崩れないようハンガーに干していた。結婚後は、沢山干せるように夫が「洗濯バサミ付き物干し」を買ってくれた。私は、洗濯バサミの跡が目立たないよう、Tシャツの肩の尖った部分の縫い目に洗濯バサミを挟む。そうすると畳む時も肩の尖った部分を合わせ、裾も滑らかに収まる。ところが夫は、Tシャツの裾の部分を上にして洗濯バサミを挟むのだ。Tシャツは逆さに干されることとなる。驚いて「何故そのように干すの」と聞いた。夫の説によれば、逆さに干すことによりTシャツの脇の部分に風が通り生乾きを回避できるとのこと。思いも寄らぬ発想であった。しかしこの干し方には弱点がある。洗濯バサミによって釣られた裾の両端が尖ってしまうのだ。だから畳む時に裾が水平にならない。着用したときも裾の高さが異なり見栄えが悪い。夫は、シャツの裾をズボンに入れる世代なので、裾の高さは気にしないのであった。私はシャツの裾をズボンに入れるのはダサいと思っている世代なので納得がいかない。その後、夫の父が暮らす介護施設を訪れた時、下着が逆さに干されていた。介護士さんに伺ったところ、衛生上そのように干しているとのこと。夫の説は正しかったのだ。

短い時間で沢山の洗濯物を干す介護施設と貸家暮らしの私達の日照時間は違う。そして夫の母は洗濯物の畳み方に拘りを持っている。私と同じでハンカチを四つに畳んだ時に布地がはみ出ることを嫌う。夫の理屈は頭では分かっていても畳んだ時の形状を考えると、Tシャツを逆に干すことには抵抗がある。

こんなどうでもいいようなすれ違いが結婚生活にはあるのだ。男性からしてみれば些細なこと。そんな些細なすれ違いが積もり積もって女性は、男性に別れを告げる。女性の離婚理由の上位に「テレビの音がうるさい」というのがある。夫が見ているテレビの音がうるさいだけで離婚に発展するのかと疑問に思うことだろう。女性は、我慢する生き物である。些細なすれ違いや苛立ちを溜めにためてもう満杯となったときに別れを切り出す。男性から、別れの理由を聞かれると「私が仕事や子供の世話や家事で死にそうな思いをしている時、あなたは大音量でテレビを見て笑っていた」となる。男性は、テレビを大音量で見ていたことがいけなかったのかと思ってしまう。「手伝って欲しかった」と言えないのも女性の性である。この男女のすれ違いは笑い事ではない。

男性は、幼い頃より家事をする母親を見て育つ。家事は女性のするものという観念が植え付けられている。女性もまた、家事ができることをアピールして恋する男性と結婚まで漕ぎ着けるのだ。ところが、実際に夫と暮らすと、実家で教わってきた家事や一人暮らしの家事とは違う労力が発生する。妻の実家の味と夫の実家の味が違うという最初の難関があるのだ。交際中は、何でも美味しいと食べてくれた夫も結婚すると、好き嫌いを言い始める。妻はそれまでの料理の技術を捨て、夫の好みに合わせて作らねばならない。また独身時代は、仕事で疲れた日はファーストフードを食べていたが、結婚した以上は寝不足でふらふらでも、買い物に行き料理を作らなければならない。独身時代は好きな時間にできた掃除や洗濯も毎日しなければならない。家事が趣味だった女性も結婚後はそれが毎日のノルマとなる。ひたすら苦痛でしかない。仕事で疲れて死にそうな思いで作った料理に文句を言われた日には発狂するであろう。ましてやTシャツの干し方に文句でも言われたら、街中の街路樹を金属バットで殴り倒したい衝動に駆られてしまうに違いない。

 Tシャツの干し方愛の終わらせ方  神野紗希

当該句は、男性に対する苛立ちや恨みを全く感じさせない。自分の拘りを通したいという美しき手順を感じさせる。Tシャツの干し方にも自分が学んできた最も美しき手順があるのだ。愛の終わらせ方にも美学があるように。

愛の終わりは醜い。美しい別れなど理想の話である。別れた後は友達とか同志に戻るとか、私の理解の範疇を超えるお伽噺である。だが現実にはそんな別れもあるようだ。恋人とは、どこかでお互いの才能を認め合った存在である。女性にとって男性は、自分にはない尊敬できる部分があるから恋の対象となる。別れる際には、愛し愛された記憶が強ければ強いほど痛みを感じ、その痛みから永遠の繋がりを求めてしまう。

美しき愛の終わらせ方は女性にとって永遠のテーマであろう。愛の終わりは、応援してくれた人も含め誰かを傷つけることになる。男性は愛の終わりが近付いていても別れを告げられない弱さがある。だから別れは、女性が切り出すのである。きっと恋の始まりも終わりも女性が主導権を握っているのだ。

Tシャツを美しく干すように愛を終わらせることができるのは素敵なことだ。女性にとっては、愛の終わりなど家事とか事務作業の過程に過ぎないのかもしれない。恨むことも恨まれることもなく、完璧な愛の終わらせ方ができる女性は、仕事も家事も出来るに違いない。

篠崎央子


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【執筆者プロフィール】
篠崎央子(しのざき・ひさこ)
1975年茨城県生まれ。2002年「未来図」入会。2005年朝日俳句新人賞奨励賞受賞。2006年未来図新人賞受賞。2007年「未来図」同人。2018年未来図賞受賞。2021年星野立子新人賞受賞。俳人協会会員。『火の貌』(ふらんす堂、2020年)により第44回俳人協会新人賞。「磁石」同人。


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓


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