俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第51回】 軽井沢と堀口星眠


【第51回】
軽井沢と堀口星眠

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


軽井沢は、浅間山の東南の麓に広がる海抜900~1000メートルの高原地帯。中山道の宿場町(軽井沢、沓掛、追分の三宿)として栄えたが、信越本線の開通で衰退した。しかし、カナダ人宣教師A・C・ショーが避暑のために別荘を設け、日本の富裕層がそれに倣ったため、国際的にも知られる日本を代表する避暑地となった。

落葉松の並木道(ホテル鹿島の森提供)

落葉松が美しい旧軽井沢には教会、ホテル、別荘が点在し、北原白秋の叙情詩「落葉松」(からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見き からまつはさびしかりけり たびゆくはさびしかりけり)は、当地で作られた。殊に三笠通りは、草津温泉と軽井沢を結んだ草軽電鉄の軌道跡の落葉松が見事で、「新日本街路樹百景」である。

  部屋に椅子一つあるのみほととぎす  堀口星眠

  夜の雲に噴煙うつる新樹かな     水原秋櫻子

  炎天に火山を置けりきりぎりす    相馬遷子

  噴煙や花野に坐して花摘まず     及川 貞

  雨蛙鶴溜駅降り出すか (旧草軽電鉄駅) 石田波郷

  辰雄忌の郭公身近にて鳴けり     山崎ひさを

  隠れ耶蘇の墓ぞと触れてあたたかし  矢島渚男

  栗の毬礼拝堂の屋根を打つ(ショー礼拝堂)深谷雄大

  緑さす神父の低きマタイ伝      広渡敬雄

〈部屋に椅子〉の句は、昭和24(1949)年、26歳の作。自註に「医局の友人と借りた軽井沢の別荘を〈森の家〉と名付け、大島民郎、岡谷公二と俳句に熱した」とある。その後及川貞、相馬遷子、草間時光(時彦の父)等と編纂した『高原句集』の「軽井沢二十六句」と、第一句集『火山灰の道』の巻頭句であり、著者の俳句開眼の句でもある。

ちなみに〈森の家〉には、三年後に水原秋櫻子、石田波郷も訪れ、各々〈夜霧飛ぶ甲虫のつばさ響きけり〉〈泉への道後れゆく安けさよ〉の句を作っている。その後「高原俳句派」と称されたさきがけの作品でもある。

落葉松の黄葉

「椅子は静寂の中に想を練り人生を考えるための椅子。ほととぎすの声に孤独を募らせるが、未来を真剣に思惟する若者への救いでもあろう」(熊谷愛子)の鑑賞がある。

堀口星眠は大正12(1923)年、群馬県碓氷郡安中町(現安中市)に生まれる。旧制高崎中学、旧制新潟高校を経て東京大学医学部入学。20歳頃より医学部の友人と俳句を始め、東大ホトトギス会(山口青邨指導)にも所属した。

昭和24年に秋櫻子にまみえ本格的に俳句を始めた。翌年には「馬酔木」初巻頭。翌々年には馬酔木新人賞と快進撃し、同33(1958)年には第一句集『火山灰の道』(第六回馬酔木賞)を上梓した。同51(1976)年上梓の『営巣期』で第16回俳人協会賞を受賞。秋櫻子の信任が厚く、推されて秋櫻子死後の同56年、「馬酔木」主宰を継承したが、三年後に退き、「橡」を創刊し主宰となった。

万平ホテル(軽井沢観光協会)

「詩情というのは、俗情に対しある高さをもっているものであろう。この高さがなければ詩文を作ることは難しい」との強い信念で後進の指導に当たり、民郎、古賀まり子、市村究一郎等二千名超の門弟を率いて、毎日俳壇選者、俳人協会の幹部として活躍した。平成27(2015)年、91歳で逝去。「橡」は息女三浦亜紀子が主宰を継承した。

句集は他に『自註句集堀口星眠集』(同五十四年)、『青葉木菟』(同五十八年)、『樹の雫』(平成二年)、『祇園祭』(同四年)、『テーブルの下に』(同二十一年)。随想集『田園随想』『水原秋櫻子全集解題』、『俳句入門のために』等がある。又三浦亜紀子選の『堀口星眠選集』も刊行された。

軽井沢ショー記念礼拝堂(軽井沢観光協会)

「星眠は俳句を作るために自然に入ったのではなく、自然がもともと先にあり、それを詠むために俳句という詩形を選んだ」(石田波郷)、「星眠俳句の本領は清澄で外光性に富んだ自然詠。自然讃仰とその清鮮な叙情性の核をなすのは、西欧的な知性と近代意識と〈詩〉の自覚である」(黛執)、「殊に野鳥の句にかけては、この人をもって最右翼とす」(矢島渚男)、「あの戦争の悲しさ、人の世のはかなさを知った者のみが感じる痛切な人間の存在そのものに係る悲哀である。真っ赤な太陽ほど美しく記憶に残るものはない―との星眠の思いは詩人の肉体の奥処からの万感の思いが秘められている。生涯の師秋櫻子との出会いはまさに定型との宿命のごとき出会いであり、定型受難の時代にもそれを祀った」(秋山みのる)等々の鑑賞がある。

  郭公や道をつらぬく野と雲と

  馬鈴薯の花や浅間や暮れかねつ

  星の空なほ頬を打つ粉雪あり

  雪渓に石投げて音かへり来ず

  耳聡き犬に白樺の花散るも

  母の日を落葉松芽吹く町に来つ

  千万の山毛欅の白さの秋の風

  白樺のしゞまに堪へず雪降るか

  月光に落葉松羽博つ雪けむり

  翡翠の一閃枯野醒ましゆく

  父といふ世に淡きもの桜満つ

  渚踏むごとし寒夜の看護婦は

堀辰雄文学記念館(軽井沢観光協会)

  捕虫網一夜の霧にまみれたる

  音曳いて馬橇とまるや星の中

  遷子悼み且羨めり初山河

  雪片も旅いそぐかに翁の忌

  新雪の千の白糸浅間嶺に

  縁に来る母の使か春雀

  白樺に斑の満ちて神還りけり

  蒲公英の絮吹いてすぐ仲好しに

  亡き父母にあふ日はいつぞ紫雲英咲く

  病む人に白き嘘言ふ朝ぐもり

  父といふ世に淡きもの桜満つ

  信濃路は萩のむらさきぐもりかな

  悲しみの灯もまじる街クリスマス

  冬将軍山雲蹴立て来つつあり

  元日の往診この世去る人に

  灯の海を流るる灯あり冴え返る

  けものらは看とられず逝く秋の雨

  耳打ちをしては寄りくる湯浴柚子

  雛市や浅間小浅間晴れわたり

  尾の力抜いて頬白囀れり

  瑕瑾あり皇帝の名のさくらんぼ

  薄明に妻着替へをり白露けふ

  雪蛍泉の楽はをはりなし

  おのづからかすみまとへり翁草

「高原俳句派」のさきがけ且つ推進者として、生涯に詠んだ句の殆どを自然詠が占める根っからの自然派。戦後の陰鬱とした時代に西洋的な明るい絵画的世界を描いて、秋櫻子俳句の一面を正統に継承したものと思える。

(「青垣」43号 加筆再構成)


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会会員。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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