何故逃げる儂の箸より冷奴
豊田すずめ
俳句を始めて間もない頃、二次会での諸先輩の語りを俳句の極意と拝聴したものだ。曰く、「食べ物の句は美味しそうに詠むこと」、「高点句に名句なし」、「性格が悪くないといい俳句は作れないのよ」…。どうしたら性格が悪くなれるだろう、考えながら家に帰った夜もあった、ような。
そんな金言の一つが「名句は悉くバレ句の要素を持っている」。高名な俳人の言葉だという。真偽のほどは定かではない、というかかなり眉唾。
バレ句は破礼句とも書く。「バレ」は”卑猥”とか”下品”を表す江戸時代の言葉だそうで、バレ句というのはその名の通り性愛的な題材を扱う句のこと。川柳に端を発するらしい。浅学ゆえ名言できかねるが、江戸川柳の時代はいざ知らず、下がかったことをあからさまに表現せずに、仄めかすのが昨今のバレ句のトレンドではないかと思う。「これ、バレ句じゃないですか?」、「深読みし過ぎでしょう、そう捉えるうさぎさんの頭の中が心配ですよ」、と揶揄いつつも作者当人が深読みされることを意識している場合もあれば、全く想定外の指摘に作者が顔を赤らめることもある。いずれにせよ、一句くらいバレ句が混じると座が和んだり、湧いたりするのは確かだ。
掲句をバレ句のジャンルに入れていいものかどうかは些か迷うけれど、艶笑句には違いない。冷奴を箸でうまく掴めない、内容はそれだけのことだ。しかし、「儂」。この一人称が句にインパクトを与えている。「我」は無論のこと、「僕」でも「俺」でも駄目だ。「儂」。途端に冷奴が悪い殿様の魔手から逃れんとする腰元に見えて来る。これは絶対に絹ごしだろう。艶やかな白さといい箸から伝わる弾力といい、ただの豆腐なのになんだ、この色っぽさは。三段切れの構造になってでも冒頭を「何故逃げる」と倒置したのもドラマを盛り上げるための意図なのだろう。あーれー、と豆腐の声が聞こえそう。
と、まぁ読みながらニヤニヤしてしまうのは、私の頭が下ネタと通俗時代劇と妄想で出来ているからかもしれない。でも、「孤独のグルメ」の井之頭五郎さんだって、定食の小鉢の冷奴に箸を下ろしながら同じことを考えていたりしないかなあ。
(『俳句の杜 2021 精選アンソロジー』本阿弥書店 2021より)
(太田うさぎ)
【執筆者プロフィール】
太田うさぎ(おおた・うさぎ)
1963年東京生まれ。現在「なんぢや」「豆の木」同人、「街」会員。共著『俳コレ』。2020年、句集『また明日』。
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