大金をもちて茅の輪をくぐりけり 波多野爽波【季語=茅の輪(夏)】


大金をもちて茅の輪をくぐりけり

波多野爽波
『骰子』所収 昭和五十九年

友人に強く勧められた一冊の本がある。山口昭男著の『波多野爽波の百句』(ふらんす堂)だ。波多野爽波という俳人の名前は聞いたことあるな、山口昭男さんの名前も俳句総合誌で見たことあるな、くらいの知識で購入。この本が以後の私の俳句道を大きく方向づけることになろうとは、この時は露も思わなかった。

掲句だが、「大金」という言葉が俳句になる、ということにただただ驚いた。おまけに茅の輪をくぐったときの爽波の所持金はわずかだったらしい。どういうこと?と混乱した。なんとか理解しようと山口主宰の解説文を読み込んだことを覚えている。下に抜粋する。

―爽波の言葉に「偶然の必然」というのがある。(中略)こだわりが俳句を生むということ。俳句となる事柄が事実と反してぽっと出てくるところを躊躇なくとっさに捉えるということ。この二つを「偶然の必然」から学んだ。―

事実でなくてもよいということが、頭がくらくらするほど衝撃的であり、目から鱗であった。そして、俳句となる事柄を理屈なく掴む瞬発力、「俗」をスレスレに俳句にしてしまう爽波に一気に虜になった。貪るように何度も何度もこの本を読んだ。線もいっぱい引いた。この本は、私にとっては爽波句の解説本にとどまらず、俳人の俳句への向き合い方を知る一冊となった。

巻末にある「俳人波多野爽波の教え」の中に、裕明句についての爽波の記述がある。

ラグビーの選手あつまる桜の木
田中裕明

―いい俳句というのは表面単純のように見えて仲々に奥が深い。読み手はその句の中に入って連想の翼を拡げながら自由に遊ぶことが出来る。―

この句に対して、爽波はラガーらが集まってくるまでを原稿用紙一枚ほどに語っているらしい。俳句を鑑賞するとき作者の意に反しては絶対にいけない、と呪縛のように思っていた私は、爽波のこの文章ですごく気が楽になった。季語を踏まえてさえいれば自由に連想していっていいのだ。俳句の別の楽しさを見つけた瞬間だった。そうして私はこの本を手に「秋草」の門を叩き、現在に至っている。

かつて一生懸命に引いた線を懐しく感じながら『波多野爽波の百句』を、今また読み返している。吟行中に「見えないものが見える」ふとした瞬間が、私には時々たまにある(変な人でありません)のだが、「偶然の必然」に通じてゆくのかな、そうであればちょっと嬉しい。俳句には自由というものが根底にあるはずだから。

以下の百句目は、爽波の「青」での最後の発表句から。写生の目を養うとともに新しさも追求してゆきたい。

捕虫網新しきまま浮いてをり
波多野爽波(平成三年)

村上瑠璃甫


【執筆者プロフィール】
村上瑠璃甫(むらかみ・るりほ)「秋草」所属
1968年 大阪生まれ
2018年 俳句を始める
2020年12月 「秋草」入会、山口昭男に師事
2024年6月 第一句集『羽根』を朔出版より刊行

これまで見たことのない大胆な取り合わせに、思わずはっと息をのむ。選び抜かれた言葉は透明感をまとい、一句一句が胸の奥深くまで届くような心地よさが魅力。今、注目の俳誌「秋草」で活躍する精鋭俳人の、待望の初句集!「秋草」以後の298句収録。

村上瑠璃甫句集『羽根』

発行:2024年6月6日
序文:山口昭男
装丁装画:奥村靫正/TSTJ
四六判仮フランス装 184頁
定価:2200円(税込)
ISBN:978-4-911090-10-7 C0092


2020年10月からスタートした「ハイクノミカタ」。【シーズン1】は、月曜=日下野由季→篠崎央子(2021年7月〜)、火曜=鈴木牛後、水曜=月野ぽぽな、木曜=橋本直、金曜=阪西敦子、土曜=太田うさぎ、日曜=小津夜景さんという布陣で毎日、お届けしてきた記録がこちらです↓



【2024年7月の火曜日☆村上瑠璃甫のバックナンバー】
>>〔1〕先生が瓜盗人でおはせしか 高浜虚子

【2024年7月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
>>〔5〕東京や涙が蟻になってゆく 峠谷清広

【2024年6月の火曜日☆常原拓のバックナンバー】
>>〔5〕早乙女のもどりは眼鏡掛けてをり 鎌田恭輔
>>〔6〕夕飯よけふは昼寝をせぬままに 木村定生
>>〔7〕鯖買ふと決めて出てゆく茂かな 岩田由美
>>〔8〕缶ビールあけて東京ひびきけり 渡辺一二三

【2024年6月の水曜日?☆阪西敦子のバックナンバー】
>>〔124〕留守の家の金魚に部屋の灯を残し 稲畑汀子
>>〔125〕金魚大鱗夕焼の空の如きあり 松本たかし

【2024年6月の木曜日☆中嶋憲武のバックナンバー】
>>〔1〕赤んぼころがり昼寝の漁婦に試射砲音 古沢太穂
>>〔2〕街の縮図が薔薇挿すコップの面にあり 原子公平
>>〔3〕楽譜読めぬ子雲をつれて親夏雲 秋元不死男
>>〔4〕汗の女体に岩手山塊殺到す 加藤楸邨

【2024年5月の火曜日☆常原拓のバックナンバー】
>>〔1〕今年の蠅叩去年の蠅叩 山口昭男
>>〔2〕本の背は金の文字押し胡麻の花 田中裕明
>>〔3〕夜の子の明日の水着を着てあるく 森賀まり
>>〔4〕菱形に赤子をくるみ夏座敷 対中いずみ

【2024年5月の水曜日☆杉山久子のバックナンバー】
>>〔5〕たくさんのお尻の並ぶ汐干かな 杉原祐之
>>〔6〕捩花の誤解ねぢれて空は青 細谷喨々
>>〔7〕主われを愛すと歌ふ新樹かな 利普苑るな
>>〔8〕青嵐神社があったので拝む 池田澄子
>>〔9〕万緑やご飯のあとのまたご飯 宮本佳世乃

【2024年5月の木曜日☆小助川駒介のバックナンバー】
>>〔4〕一つづつ包むパイ皮春惜しむ 代田青鳥
>>〔5〕しまうまがシャツ着て跳ねて夏来る 富安風生
>>〔6〕パン屋の娘頬に粉つけ街薄暑 高田風人子
>>〔7〕ラベンダー添へたる妻の置手紙 内堀いっぽ

【2024年4月の火曜日☆阪西敦子のバックナンバー】
>>〔119〕初花や竹の奥より朝日かげ    川端茅舎
>>〔120〕東風を負ひ東風にむかひて相離る   三宅清三郎
>>〔121〕朝寝楽し障子と壺と白ければ   三宅清三郎
>>〔122〕春惜しみつゝ蝶々におくれゆく   三宅清三郎
>>〔123〕わが家の見えて日ねもす蝶の野良 佐藤念腹

【2024年4月の水曜日☆杉山久子のバックナンバー】
>>〔1〕麗しき春の七曜またはじまる 山口誓子
>>〔2〕白魚の目に哀願の二つ三つ 田村葉
>>〔3〕無駄足も無駄骨もある苗木市 仲寒蟬
>>〔4〕飛んでゐる蝶にいつより蜂の影 中西夕紀

【2024年4月の木曜日☆小助川駒介のバックナンバー】
>>〔1〕なにがなし善きこと言はな復活祭 野澤節子
>>〔2〕春菊や料理教室みな男 仲谷あきら
>>〔3〕春の夢魚からもらふ首飾り 井上たま子

【2024年3月の火曜日☆鈴木総史のバックナンバー】
>>〔14〕芹と名がつく賑やかな娘が走る 中村梨々
>>〔15〕一瞬にしてみな遺品雲の峰 櫂未知子
>>〔16〕牡丹ていっくに蕪村ずること二三片 加藤郁乎

【2024年3月の水曜日☆山岸由佳のバックナンバー】
>>〔5〕唐太の天ぞ垂れたり鰊群来 山口誓子
>>〔6〕少女才長け鶯の鳴き真似する  三橋鷹女
>>〔7〕金色の種まき赤児がささやくよ  寺田京子

【2024年3月の木曜日☆板倉ケンタのバックナンバー】
>>〔6〕祈るべき天と思えど天の病む 石牟礼道子
>>〔7〕吾も春の野に下りたてば紫に 星野立子


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