俳人・広渡敬雄とゆく全国・俳枕の旅【第38回】 信濃・辰野と上田五千石


【第38回】
信濃・辰野と上田五千石

広渡敬雄(「沖」「塔の会」)


信濃は長野県の旧国名。県歌では唯一人口に膾炙している「信濃の国」の一番の歌詞は「信濃の国は十州に 境連ぬる国にして 聳ゆる山はいや高く 流るる川はいや遠し 松本伊那佐久善光寺 四つの平は肥沃の地 海こそなけれ物さわに 万ず足らわぬ事ぞなき」。特徴はここに尽くされている。辰野町は、伊那谷の北端に位置し、三州街道(信濃~三河)等の交通の要衝の宿場町。松尾峡の蛍は日本随一で、日本の地理的中心ゼロポイントがある。

小野宿(辰野町観光協会

青胡桃しなのの空のかたさかな    上田五千石

雪渓や信濃の山河夜に沈み      水原秋櫻子

紫陽花に秋冷いたる信濃かな     杉田久女

胡桃ふればかすかに応ふ信濃の音   能村登四郎

みすずかる信濃ぞ燃ゆる紅葉どき    林 翔

初蛍信濃は夜もあをあをと      伊藤伊那男

姥捨や棚田の田螺髭振れる      小澤 實

諏訪湖
湖の凍れば闇の(しろがね)        小林貴子

「青胡桃」の句は、〈桑の実や擦り傷絶えぬ膝小僧〉と共に第一句集『田園』に収録。戦火を避け昭和19(1944)年、国民学校五年の十一歳の折、東京・代々木から長野県上伊那郡小野村(現辰野町)に縁故疎開し、三年近く暮らした体験が背景にある。都会っ子の五千石には、環境の急激な変化による精神的、肉体的負担は大きかったが、農業にも従事し強く鍛えられ、季語の実習をしたと述懐する。

小野問屋内部(辰野町観光協会

後年再訪し、「少年の日の疎開地小野」の前書きで〈すぐりの実青きを噛めば行方透く〉を詠み、平成4(1992)年には当地しだれ栗森林公園内に青い御影石の「青胡桃」句碑が建立された。「信州小野村こそ父の原風景」(上田日差子)、「小さな胡桃の中に、巨大で透明な凍りついた様な信州の空が映る絶唱」(中村真一郎)等の鑑賞がある。

上田五千石「青胡桃」句碑(辰野町観光協会

上田五千石は、昭和8(1933)年東京生まれ、本名明男。父晋敬(伝八・俳号古笠。内藤鳴雪門)は法相宗の東京出張所長を務め、母も俳句を嗜んだ。その五十九歳の時の子であり、若くして父との遠からざる死別意識、戦禍による自宅の焼失による無常観が形成された。

疎開後、静岡県富士市に転居し、旧制県立富士中学時代、江戸時代初期に、富士川のデルタ地帯に作られた「かりがね堤」によって生まれた美田を、〈青嵐渡るや加嶋五千石〉と高々と詠い、俳号はこれに因んで父が命名した。

小野問屋外部(辰野町観光協会

上智大学文学部新聞学科入学後過度の神経症に悩み、母の勧めで参加した句会で秋元不死男に出会い即師事。子午線、関東学生俳句連盟等で有馬朗人、古舘曹人、深見けん二、岡田日郎、寺山修司等と研鑽、同31(1956)年、「氷海」同人。堀井春一郎、鷹羽狩行と「氷海新人会」を結成し巻頭を競った。草間時彦は「不死男門の双璧として、知と近代性の狩行と情と俳諧性(反近代性)の五千石」と評した。同32年、俳句一芸に徹するため就職を断念し、家業を継いだ。

同43年(35歳)、不死男の「後事を託するに足る新人」との序を得た第一句集『田園』を上梓。翌年同句集で第八回俳人協会賞、第八回静岡県文化奨励賞を受賞した。宗田安正は、「『田園』、『誕生』(狩行)、『われに五月を』(寺山修司)」を、近代俳句の三大青春句集と称える。

シダレグリ公園の老樹と若芽(辰野町観光協会

同48(1973)年、「畦」を創刊。師や母の死後の同53年に俳句専業となり、第二句集『森林』では、「天与のごとくはからざる句が降りてくる無意識の世界と技巧から脱出し、自由なポエジーを得た」と、同57年の第三句集『風景』では「俳諧の戯れの境地に入りつつある」と述懐する。同59年、「畦」150号で「眼前直覚(いま、ここ、われをうたう)」を提唱。平成4年に第四句集『琥珀』、文集『俳句塾』を上梓。同5年、富士市の岩本山公園に〈渡り鳥みるみるわれの小さくなり〉他三句の「田園」文学碑を建立した。「遠ざかる渡り鳥から逆に自分がみるみる小さくなり、渡り鳥からつき放たれたような一種のめまいのようなショックを受けた」との自句自解がある。

同9(1997)年9月2日、かい離性動脈瘤により63歳で急逝。同年、「畦」は12月号で終刊、翌年遺句集『天路』、長女・上田日差子により「ランブル」が創刊された。

雪のシダレクリ(辰野町観光協会

「世界中のあらゆる宗教や民俗神話をもすべて溶かし込む、無意識の奥に潜むアニミズムと言ってよい宗教の原型を五千石も心に願っている」(山本健吉)、「その俳句の底辺には「淋しさ」が漂う。主旋律は、「生命の諸相」であり、副旋律には「雄心」「志」があり、通奏低音に「喪失感」や「無常観」が柔らかく響く」(角谷昌子),「俳句と言う有季定型の器の中で、最大限の詩的才能を発揮した作家である」(林誠司)等の評がある。

告げざる愛雪嶺はまた雪かさね

万緑や死は一弾を以て足る

あけぼのや泰山木は蠟の花

父といふしづけさにゐて胡桃割る

秋の蛇去れり一行詩のごとく

山開きたる雲中にこころざす

竹の声晶々と寒明くるべし

シリウスの青眼ひたと薬喰

暮れ際に桃の色出す桃の花

冬の菊暮色に流れあるごとし

これ以上澄みなば水の傷つかむ

早蕨や若狭を出でぬ仏たち

あたたかき雪がふるふる兎の目

貝の名に鳥やさくらや光悦忌

色鳥や淋しからねど昼の酒

初蝶を見し目に何も加へざる

安心のいちにちあらぬ茶立虫

疎開地辰野は、五千石の若き精神形成と自然への畏敬、さらに「季を肉体に憶えさせなければ良い俳人にはなれない」(俳句塾)との確信の基になった地とも言えるだろう。長命であれば更なる新たな句境を展開していただろうと思われ、つくづく63歳での急逝が惜しまれる。 

(「青垣」22号加筆再編成)

富士市岩本山公園 上田五千石句碑


【執筆者プロフィール】
広渡敬雄(ひろわたり・たかお)
1951年福岡県生まれ。俳人協会幹事。句集『遠賀川』『ライカ』(ふらんす堂)『間取図』(角川書店)。『脚注名句シリーズⅡ・5能村登四郎集』(共著)。2012年、年第58回角川俳句賞受賞。2017年、千葉県俳句大賞準賞。「沖」蒼芒集同人。俳人協会幹事。「塔の会」幹事。著書に『俳句で巡る日本の樹木50選』(本阿弥書店)。


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