ふんだんに星糞浴びて秋津島
谷口智行
〈星糞〉は「流星」のこと、と知っていたので、てっきり過去に歳時記で知ったのだと思い込んでいて、この原稿を書くに当たって確認のため手持ちの歳時記をめくってみたが、なぜか見当たらない。 ネットで検索してみたところ、季語として扱っているサイトは、唯一、我らがセクトポクリット「秋の季語」。
https://sectpoclit.com/ryusei/
「流星」とその傍題について管理人独自の切り口で語られていて興味深い。掲句も登場するのでぜひご覧あれ。
さて、では自分は〈星糞〉が「流星」であると、いつどこで知ったのだろう、と自分に聞いてみた。
あ、そうか、句集『星糞』のあとがきに「星糞(=星屎)は秋の季語「流星」の傍題で、宇宙塵の一つが燃え切らずに地上に落ちた隕石のこと」と記されていたのを、読んで知ったのだ、と一旦は合点した。でも、もっと前から知っていたよ、という声が自分の奥からするのだ。なぜだろう。
〈星糞〉を調べるうちに、筆者の故郷信州伊那谷の実家から車で一時間ほどの場所に「星糞峠」があるということを知る(セクポリ「秋の季語」にも記載あり)。「星糞峠」のことは覚えていない。だが、近くにある「和田峠」のことは覚えている。幼い頃から父の運転で母の実家の上州へ向かうときの通り道で、そこでは必ず休憩を取り、黒曜石を拾うのが楽しみだったのだ。
峠のある長門町のサイトにて、この二つの峠は、黒曜石の本州最大規模の原産地として有名で、旧石器時代大規模な遺跡が密集し、星糞峠では、縄文人が地下資源として黒曜石を掘り出していた鉱山跡が発見され、国の史跡に指定されている、と知った。昔から、土地の人々はキラキラ光る黒曜石を流れ星と信じ、空から降ってきた〈星糞〉と呼んでいたという。
「この黒曜石は流れ星で〈星糞〉というんだよ。」
おそらく、筆者は、かつて黒曜石を拾いながらこの話を誰かから聞いていたのだろう。それがこの淡い、知っていた感の出所なのだ、と思う。
出てくるかな、と土を掘るワクワク感。黒く透き通る〈星糞〉の感触。掲句と、ハイクノミカタという鑑賞の機会のおかげで、幼い自分と再会できた。
期せずして、この国史跡「星糞峠黒曜石原産地遺跡」の展示施設、その名も「星くそ館」は今年の7月20日に開館したばかり。さらに、去る8月21日には、NHK総合テレビの番組『ブラタモリ』「諏訪~なぜ人々は諏訪を目指すのか?~」の中で紹介されたという。〈星糞〉は今をときめいている。
さて、セクポリ「秋の季語」によると、青森や佐渡では、まさに〈星糞〉は流星の異名として使われていたそうだ。沖縄にも「ホシヌクス」(星の糞)呼び名があるという。
〈星糞〉の〈糞〉の響きにはじめ驚くが、空から落ちてくる光る塊を、〈星〉の〈糞〉だ、と親しみを込めて呼んでは微笑む、昔の人々のその素朴さが伝わってくる。
ふと、筆者の師である金子兜太の「木曾のなあ木曾の炭馬並び糞る」「大頭の黒蟻西行の野糞」「長寿の母うんこのようにわれを産みぬ」を思い出した。ここには、作者独自の野性味と素朴さによって、句中の〈糞〉の主に対する親愛の情が表現されている。
〈星糞〉に戻ろう。人間の理性が、きれいとみなす〈星〉と、汚いとみなす〈糞〉が出会う場所、〈星糞〉。ここでは理性の判断が揺さぶられ、それを突き抜け、意識の深層で両方が通じ合う領域に光が当てられる。ここでは〈糞〉が内包する、人間を含む全ての動物に共通する生理的で野性的なエネルギーと、〈星〉が内包する、地球上の生物の営みを含む宇宙の摂理のエネルギーが姿を表し、溶け合い、増殖し、爆発的なエネルギーが生まれている。〈星糞〉は、大いなるいのちのエネルギーを爛々と湛える、創造の種子ともいうべき刺激的な言葉なのだ。
さて、そんな〈星糞〉の魅力を存分に伝える掲句。
ふんだんに星糞浴びて秋津島
〈秋津島〉は「古事記」「日本書紀」にみられる日本の本州の呼称で、転じて日本の異名の一つ。〈秋津〉とは、トンボの別名で、日本神話において、神武天皇が国土を一望してトンボのようだ、といったことが由来だとされる。
〈ふんだんに星糞浴びて〉により、数え切れないほどの〈星糞〉、つまり流星が、〈秋津島〉、つまり日本列島に、それも太古から今まで、さらにこれからも、悠久にわたって降り注ぐ、美しく鮮やかな映像が現れる。
それだけではない。さらに、〈ふんだんに〉〈糞浴びて〉の字面や措辞が、排泄の快感や、排泄物への性的興奮といった体感を呼び起こすとともに、〈秋津島〉が神話の時代を引き寄せるからだろう、イザナミ、イザナギが国生みを終えたあとの神生みの際に、イザナミの嘔吐物、糞、尿からも神々が誕生する場面をも想起させるため、一句には気絶するほどのエクスタシーが出現するのだ。
思えば、この〈秋津島〉、つまり日本は言霊の国である。掲句において、〈星糞〉の言葉のエネルギー、つまり〈星糞〉の濃厚ないのちのエネルギーが、悠久の時空である〈秋津島〉の隅々に、祝福のように降り注いでいる。
掲句は、なんと壮大で豪快で悦びに満ち溢れた、日本への賛歌なのだろう。
そうだ、思い出した。実家のどこかに昔集めた〈星糞〉の箱があるはずだ。その箱を再び開けるのが楽しみだ。そう、〈星糞〉の〈秋津島〉で。
(月野ぽぽな)
🍀 🍀 🍀 季語「星糞」については、「セポクリ歳時記」もご覧ください。
【執筆者プロフィール】
月野ぽぽな(つきの・ぽぽな)
1965年長野県生まれ。1992年より米国ニューヨーク市在住。2004年金子兜太主宰「海程」入会、2008年から終刊まで同人。2018年「海原」創刊同人。「豆の木」「青い地球」「ふらっと」同人。星の島句会代表。現代俳句協会会員。2010年第28回現代俳句新人賞、2017年第63回角川俳句賞受賞。
月野ぽぽなフェイスブック:http://www.facebook.com/PoponaTsukino
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【セクト・ポクリット管理人より読者のみなさまへ】