汽車逃げてゆくごとし野分追ふごとし
目迫秩父
(『雪無限』琅玕洞)
つい、「野分」を衛星画像の移動する台風のように想像してしまうのだけれど、そんなもののない時代の作品。風を可視化するには、芭蕉「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」のごとく何かに靡くか飛ぶかしてもらわねばならない。この句では、作者の眼前に疾走し去って行く汽車。そして背後から突如野分の風が吹いてきて体が持って行かれそうになりつつ詠んだ一句、という感じだろうか。
作者目迫秩父は、1916(大正5)年生まれ。引用句を収める句集により第7回現代俳句協会賞受賞している。西東三鬼や石田波郷らが結成した現代俳句協会は、言ってみれば作家組合を目指したようなところのある組織で、俳人が俳句できちんと収入を得られることを目標にしていたと聞くし、初期は少数精鋭の組織だった。そして現代俳句協会賞は当初は「茅舎賞」と言った。第1回(1947年)の受賞は石橋秀野。以下、第2回(1952年)細見綾子、第3回(1954年) 佐藤鬼房、第4回(1955年)野沢節子、第5回(1956年)金子兜太・能村登四郎、第6回(1957年)飯田龍太・鈴木六林男、第7回(1958年)目迫秩父、第8回(1959年) 香西照雄)と続く。そして第9回(1961年。赤尾兜子が受賞)の選考をめぐる対立が協会の分裂と俳人協会の設立の発端となった、と言われている。
さて、これら錚々たる受賞者の中では、目迫がもっとも知られていない作家ではないだろうか。その理由は、たぶん目迫が結核で40代で早世してしまったからだろう。ウィキペディアには「喀血による窒息で死去」と悲惨な死に様が書かれている。第1回の石橋秀野も結核で早世している作家だが、山本建吉の妻であったから、死後も顕彰される機会に恵まれたといえるかもしれない。それにしても、あらためて見直してみると、上記の受賞者たちも結核由来の病をもつ俳人が少なくない。それでも飯田龍太のように長命を保った人もいるけれど、貧困に喘いだという目迫は、病気に対抗する充分な栄養をとれていたとも思われない。句集にはそんなことが感じられる句も多い。そういう境遇が独特の作風を生んでいて、師である大野林火は句集の序文で「句集『雪無限』は、一口にいへば彼の書いた心境小説である」と書いている。しかし「心境小説」と聞くと、志賀直哉のような自分語りながら恬淡とした作品を連想するのだが、目迫の句集は、やや平凡な愛情にあふれる吾子俳句と、病が進むにつれ凄絶さを増す療養俳句(「冬の蠅わが喀きし血に溺れたり」、「暮春おのが解剖体を頭に描くも」など)がくっきりと明暗を形成するようにみえる。そんな中に、子供とか病とかに関係の無さそうな句が散見され、掲句のほかに「柿の個々夕日を捉ふ掌の柿も」、「こがらしや人參に燈のこもりゐて」など、独特の味わいがある。
(橋本直)
【こちら「日本の古本屋」の出品より↓】
【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。
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