水底を涼しき風のわたるなり
会津八一
(上村占魚『会津八一俳句私解』昭和58年)
過日、阪西さんが連続で取り上げていた上村占魚は、歌人会津八一の弟子でもあった。吉野秀雄の紹介による。では歌の弟子であったのか、となると、どうも違うようである。書の弟子だった、ということかもしれないが、むしろ「文人墨客」として、という言い方の方が、彼らの中に醸されていた気分の形容としては相応しいのかもしれない。
その占魚が師の句をまとめ私解を施したのが『会津八一俳句私解』。同書に選れば、八一は俳号を八朔郎といい、十九歳から実作を始め、「ホトトギス」に投句するなどし、二十代で高田新聞の俳句選者になったが、四十代の末年で句作を辞めている。同書は、1293句を遺し句集を出すことがなかった師の俳句を、弟子なりにまとめたもの、ということになる。あとがきによれば、吉野秀雄も八一に句集を出すことを勧めたが断られ、占魚も断られているので、両弟子の師の句業を惜しむ気分がこの本を世に出させたものと推察される。
占魚の私解によれば、掲句は大正二年「新潟新聞」に発表されたものとのこと。詞書に「本多天城の水墨山水に」とあり、画賛。しかし、言わなければ調べの美しい写生句であろう。涼感のある佳句と思う。占魚は、「自然諷詠として、朗々と詠いあげていて工夫がある。」「発想がしぜんで、気持がとおっている。」と評している。
さて、占魚のおかげで会津八一の句業を知ることが出来、たいへん勉強になったのだけれども、同書には褒めてばかりもいられない点がある。占魚は、『会津八一全集』(昭和57年)所収の句を参照して執筆したというのだけれど、大正11年の項に抜かれた「朝がほに我はめしくふ男哉」は、どうみても『虚栗』所収の芭蕉の発句そのものである。おそらく、専門が俳人ではない人物の俳句を全集にまとめるにあたって、手控えのメモかなにかにあった句をそのまま八一作として載せ、占魚も気づかなかったものと思われる。そういうことは宮澤賢治にもあった。けれども、この句をとらまえて「従来の俳句概念を破っている。一茶風な詠みぶりもほほえましい。」と解しているのは他人事ながら恥ずかしい。俳人はよく古句を学ぶべき、と我が身を律するべきか。
(橋本直)
【橋本直のバックナンバー】
>>〔36〕棕梠の葉に高き雨垂れ青峰忌 秋元不死男
>>〔35〕谺して山ほととぎすほしいまゝ 杉田久女
>>〔34〕夕立や野に二筋の水柱 広江八重桜
>>〔33〕雲の上に綾蝶舞い雷鳴す 石牟礼道子
>>〔32〕尺蠖の己れの宙を疑はず 飯島晴子
>>〔31〕生前の長湯の母を待つ暮春 三橋敏雄
>>〔30〕産みたての卵や一つ大新緑 橋本夢道
>>〔29〕非常口に緑の男いつも逃げ 田川飛旅子
>>〔28〕おにはにはにはにはとりがゐるはるは 大畑等
>>〔27〕鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 波多野爽波
>>〔26〕花の影寝まじ未来が恐しき 小林一茶
>>〔25〕海松かゝるつなみのあとの木立かな 正岡子規
>>〔24〕白梅や天没地没虚空没 永田耕衣
>>〔23〕隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな 加藤楸邨
>>〔22〕幻影の春泥に投げ出されし靴 星野立子
>>〔21〕餅花のさきの折鶴ふと廻る 篠原梵
>>〔20〕ふゆの春卵をのぞくひかりかな 夏目成美
>>〔19〕オリヲンの真下春立つ雪の宿 前田普羅
>>〔18〕同じ事を二本のレール思はざる 阿部青鞋
>>〔17〕死なさじと肩つかまるゝ氷の下 寺田京子
>>〔16〕初場所や昔しこ名に寒玉子 百合山羽公
>>〔15〕土器に浸みゆく神酒や初詣 高浜年尾
>>〔14〕大年の夜に入る多摩の流れかな 飯田龍太
>>〔13〕柊を幸多かれと飾りけり 夏目漱石
>>〔12〕杖上げて枯野の雲を縦に裂く 西東三鬼
>>〔11〕波冴ゆる流木立たん立たんとす 山口草堂
>>〔10〕はやり風邪下着上着と骨で立つ 村井和一
>>〔9〕水鳥の夕日に染まるとき鳴けり 林原耒井
>>〔8〕山茶花の弁流れ来る坂路かな 横光利一
>>〔7〕さて、どちらへ行かう風がふく 山頭火
>>〔6〕紅葉の色きはまりて風を絶つ 中川宋淵
>>〔5〕をぎはらにあした花咲きみな殺し 塚本邦雄
>>〔4〕ひっくゝりつっ立てば早案山子かな 高田蝶衣
>>〔3〕大いなる梵字のもつれ穴まどひ 竹中宏
>>〔2〕秋鰺の青流すほど水をかけ 長谷川秋子
>>〔1〕色里や十歩離れて秋の風 正岡子規
【執筆者プロフィール】
橋本直(はしもと・すなお)
1967年愛媛県生。「豈」同人。現代俳句協会会員。現在、「楓」(邑久光明園)俳句欄選者。神奈川大学高校生俳句大賞予選選者。合同句集『水の星』(2011年)、『鬼』(2016年)いずれも私家版。第一句集『符籙』(左右社、2020年)。共著『諸注評釈 新芭蕉俳句大成』(明治書院、2014年)、『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂、2018年)他。